たぶん個人的な詩情

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読書:『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』――今の自分を認めてあげたくなる一冊。

この本のタイトルを始めて見かけた時のことを未だに覚えている。それは確か、本屋で平置きの本を眺めている時のことだった。

感じたのは、鈍器で頭を殴られたかのような衝撃と、ある種の嫉妬。誠におこがましいことだが、文章を生業にしたいと一度でも考えてしまったことのある身にとって、良い台詞やフレーズ、作品に出会うと、こうした思いが自然と胸に沸き起こってしまう。

我ながら醜いと思うが、これは私に限らず、かつてワナビだった者に特有の病気のようなものだと思う。が、それは今は置いておこう。

その後、著者の尾形さんが、資生堂やルミネなどの広告を手掛けるコピーライターだと知り、色々と納得してしまった。このワードセンスは、小説とはまた違った根を持っているように感じていたからだ。コピーライトの技法と言うものは、一瞬の切り取り方と言う点では、むしろ詩に近いのかも知れない。

さて、先に嫉妬と書きはしたが、この発想が自分の中にはないものだということは初めから分かっていた。まさにその通りだと思わせる内容であるし、このタイトルを目にした多くの人は、自分の身に照らし合わせて誰かを思い描いてしまうに違いない。

この感性というか、センスは見事としか言いようがないし、その辺りはタイトルだけでなく作中でも遺憾なく発揮されている。

言ってしまえば、本書で描かれるのは何のことはないありふれた大人の恋模様だ*1。悲劇的な運命とは無縁だし、男女の仲を阻む非日常的な障壁もない。だがしかし、いやだからこそ、多くの人が共感する物語でもある。

服を着ることで変化していく登場人物の内面や、そこから自分を見つめ直し、前を向き始める彼女たちの姿からは勇気を貰える。そして何より、本書を読むと新しい服を買うことの楽しさや喜びを思い出せるに違いない。

また先ほど「大人の恋愛模様」と書きはしたが、大人の恋の苦さ以上に、甘さや希望の持てる内容であることも本作の魅力だろう。ただ、本書がそれだけの本であれば、ここまで支持されなかったのではないだろうか。

では何が良いのかと言えば、何と言っても、これらの内容を描写する言葉が良い。流石はコピーライターと言うべきか、本書の言葉にはストンと胸に落ちる鋭さと、肌に馴染む優しさがある。言葉使いに内容、読後感も含めて、素敵な本という形容が本書にはふさわしい。読めば今の自分を認めてあげたくなる、そんな一冊だ。

柄にもなく読んでみたが、たまにはこう言った本も悪くないと思える作品だった。この手の恋愛小説が好きな人はもちろんのこと、こういった本に馴染みのない人にも是非読んでみて欲しい。

▶試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。

▶著者:尾形真理子

▶カバーデザイン:松崎賢

▶発行所:幻冬舎

▶発行日:2014年2月6日第一刷発行

*1:本書では、渋谷にあるセレクトショップ「Closet」を訪れる5人の恋愛模様がオムニバス形式で語られていく。いわゆるアラサーで未婚の女性たちが、主に彼氏との関係に悩みつつも、新しい服とその店の店員との交流を通し、前へ進むと言うのが基本構成である。