はじめに
先日、絶賛公開中のアニメ映画『トラペジウム』を見てきました。ちょっと上野・御徒町周辺で時間を潰す必要がありまして、良い機会なので映画でも観ようと思い立ち、上映予定を勢いで調べてみたところ、ちょうどこちらの映画がヒット。
もともと、映画館で観た予告の作画の良さに惹かれて、気にはなっていたんですよね。ただ、予告編以上の情報は仕入れておらず、どうも乃木坂の一期生の方が原作者であるらしい、ということぐらいしか知りませんでした。
で、軽い気持ちで観てみたところこれが当たり。個人的にすごい好きな作品でした。既存のアイドルアニメとは異なるテイストであるため、賛否両論ありそうだなあ、とは思うんですが、自分はそこも含めて好きでした。
気になる点はあるものの、それも含めて良いよね、みたいな。なので、以下の感想は好意的な方針で進めていきます。またネタバレ気味な感想となる予定なので、未見の方はご注意を。
あと、原作も未読な上に、乃木坂の活動についても何も知らないので、そのあたりと絡めた感想を期待している方は、期待に沿えないと思います。それと1回しか観ていないため、記憶違いがあるかもしれませんが、そこもご理解ください。
感想
感想の前の雑談
観たのはTOHOシネマズ上野。「上野」と言いつつ御徒町駅が最寄りなのはご愛敬。ちょっとこじんまりとした印象はありますが、駅から近めで便利な映画館ですよね。
平日の午前中というだけあって人はまばら。朝食を申し訳程度にしか食べていなかったこともあり、数年ぶりに映画館でポップコーンを購入し座席へ。横目にポップコーン用のトレイを見たことはありましたが、実際に使うのは初だったので、おっかなびっくり座席へ装着です。
ちなみに、Sサイズは塩とキャラメルしか味がないこともこの時知りました。食べながら観るのは主義に反するので、何とか注意と予告の時間で完食。座して待ちます。
主人公・東ゆうの衝撃と、アニメであることの弊害。
綺麗で躍動感あるオープニングと、Vtuber・星街すいせいさんが歌う楽曲に目と耳を奪われつつ、電車に揺られる主人公とご対面です。開始早々、他高に(恐らくは)アポなしで侵入するその行動力の高さと常識知らずな振る舞い、更には目的のためには嘘も辞さない性格に驚かされる怒涛の開始数分間。
仲間集めに奔走するアイドルアニメは数あれど、これほど自分本位な仲間集めの展開はあまりないように思います。不快感、と書くと強いですが、私自身、これがもし1クールのアニメだった場合、切る候補に挙がるくらいには、今後の展開に不安が残る開始だったのは確かです。
ただ、観終わった今となっては、ここも含めてこの映画の魅力だと思っています。けれど最後まで主人公・東ゆうの性格や行動原理が肌に合わない人からすれば、これを理由に作品の評価が下がってしまうことは否めないでしょう。
東ゆう≠アイドルアニメの主人公
実際、ゆうの性格が尖っていることは事実で、人によっては受け入れがたく感じる気持ちも分かります。しかしそれとは別に、作品と視聴者の間の「性格の不一致」の要因としては、本作がアニメであることが挙げられると思います。
例えば、これが実写映画であれば、同じ脚本でも受け入れられていた、という人は今より多かったのではないでしょうか。アニメであることの弊害の一つは、視聴者が求めるアイドルアニメの主人公像と、東ゆうのキャラクターの間にギャップが生まれることです。
私たち視聴者は、どこかでアニメの女の子(特に主人公で美少女)に善性のようなものを求め期待している。その点で、ゆうの性格は視聴者がイメージする「アイドルアニメの主人公」から、大きくかけ離れていたのは間違いありません。期待したイメージとのギャップが大きいだけに、拒絶反応も大きくなります。
アニメ的演出という諸刃の刃
次に、アニメ的な演出が不快感を助長するという点も挙げられます。演出上、アニメ的な表現は「分かりやすさ」のために露骨に絵を作る傾向があります。
例えば「笑い」。ゆうは自身の計画が上手くいった際に、夜神月ばりの笑みを浮かべるわけですが、当然アニメ的に「してやったりな笑み」を表現すると、ああした大げさな演出になってしまうわけです。
ゆうの身勝手な行動に不快感を感じている人からすれば、露骨な表現によってそのマイナス印象が助長されてしまうのは仕方がないでしょう。
青春アニメとしての成功と挫折。方位を失った先へ
少し批判めいた感想が続きましたが、では、そんな『トラペジウム』を私はなぜ面白いと思ったのか。それは、私が上記の点が気にならなかったからに他なりません。むしろ東ゆうに関しては嫌いになれず、彼女の性格や行動力がこの映画の面白さに繋がっていると思います。
ゆうのアイドルへの情熱としたたかさ、泥臭い足掻きが、この『トラペジウム』という映画の推進力であり、彼女のエゴこそがこの作品を唯一無二の作品にしています。
ただし、ゆうの考えた目論見が破綻することなく成功し、順風満帆に物語が終わっていたとしたら、私の本作に対する評価は高くなかったでしょう。これは別に私が美少女が曇る様子が好きだからとかではなく、本作の物語において、ゆうの挫折こそが必要な過程だと思ったからです。
挫折と成功。4人にとって不可欠だった青春
本作は東ゆうを軸に、青春テーマの作品に不可欠な奮起と挫折、そして再起が余すところなく描かれます。しかもこの挫折については、物語の序盤から予感させるものがありました。最初から既に、ストレートに成功するアニメでないことが予告されていたわけです。
ゆうの挫折を予感させるのは、彼女が自身の夢について真司に語る場面です*1。彼女の思想は高校生らしく甘く幼く、折れるのを予感させるに十分な脆さを持っています。
夢に取り憑かれ、アイドルを妄信してしまった東ゆう。彼女は夢のためには何をしても構わないという傲慢さを抱き、周りを顧みない身勝手な行動を取り続けます。
この「夢」が破れた後、東ゆうはどうなるのか。どうするのか。これこそが本作の見どころです。自らの作った方位磁針を失うところから、ゆう個人としてのアイドル人生が始まります。
ここから先は映画の中で詳しく描かれませんが、一度諦めたオーディションに挑み、アイドルとして再び返り咲く。東西南北の頃以上に人気を博していることは、彼女の振る舞いから想像に難くありません。
また救いであったのは、ただゆうが夢を叶えたのみならず、彼女の勝手な行動がもたらした不和が最終的に解決され、雨降って地が固まった点です。アイドルになったことが四人にとって黒歴史にならず、今後の人生の好転のきっかけになったのは、気持ちの良い終わり方だったと思います。
他のメンバーも、巻き込まれた側だったとは言え、各人の思惑があって決断し、芸能界に入りました。ゆうの独断専行が目立ちはしますが、残りの3人も意思決定のできない子供ではありません。
彼女たちが友人であると同時に共犯である以上、ゆうだけが責められる謂れはないわけです。そして、ああいった若い頃の行き違いや言い争いは、どちらかが歩み寄れば解決するということは往々にしてあります。
作為と努力とリアリティ
また、作為的な描写が少なく、リアルで生々しい表現が多い点も、この映画の好きな部分だったりします。もちろんアニメである以上、最低限トントン拍子に進んでいる点は否めません。
しかし、普通のアイドルアニメであれば、アイドルになるためにここまで努力と作為がなされることもないでしょう。ゆうが東西南北を作為的に集めるところから始まり、ボランティア等を通して親睦を深め、テレビ局のロケを期待して観光案内を手伝う。
作中、蘭子が「流れに身を任せる」と言っていましたが、この流れがすべて仕組まれたものだというところに、この作品の特徴と魅力があります。
リアリティと言えば、主要登場人物が整形をしていたり、彼氏バレしてしまうというのもあまり見られないリアル寄りな展開です。また、ゆうを除く3人が芸能活動に踏み出す理由も、思春期の若者らしいリアリティがあります。
ここで男だから女だからと決めつけはしたくありませんが、横の繋がりや友人関係のために無理をして自分を殺してしまうのは、思春期の女の子あるあるだなあ、と観ていて感じました。
そして無理をし続けた結果の、くるみの叫びとそれに続く美嘉の涙と蘭子の説得、ゆうのアイドル語りは、声優さんたちの演技も相まって、この映画の山場と言っても過言ではない、魅力にあふれたシーンとなっています。
こうしたストレートな思いのぶつかり合いがこの作品の魅力であり、本作を絵空事以上の作品にしているのは言うまでもありません。
触れておきたいこととか色々
以上、作品についての大まかな感想を書いてきました。残りは、細々とした感想を垂れ流していきたいと思います。
トラペジウムについて
まずタイトルのトラペジウムの由来についてなんですが、実は当初意味が分からず、花の名前だとでも思っていたんですよね。語尾が「ウム」だからラテン語由来なんだろうなあ、みたいな。
で、映画を見ている内にどうも星に関係した用語なんだろうなあ、と気付き、鑑賞後に調べたところ、Wikipediaによれば以下の通り。
トラペジウム (英: Trapezium) は、オリオン大星雲中心部の星生成領域にある散開星団である。名称はラテン語で台形を意味する。
この散開星団とは、同時に生まれた星同士がいまだに近い位置にある状態のことを指すようで、いずれはその場所を変え、ある星は銀河の向こう側に、ある星はこちら側に位置するようになるとのこと。
名前が台形を意味することや、散開星団として、いずれ離れ離れになるといった部分は彼女たちの関係を指しているようでとてもエモいですよね。
好きなシーンとかキャラとか
好きなシーンは色々あるものの、くるみの叫びから東西南北(仮)の解散、高台にCDを持ち寄り「方位自身」を完成させ、4人で歌い上げるところは鉄板というか殿堂入り。
その他で言うと、グループが解散して落ち込んでいるゆうが「嫌な奴だよね」と母親に問いかけた際に、母親が「そういうところもあるし、そうじゃないところもある」というシーン。
何気ない言葉なんですが、親のありがたみと言うか、子どもに対して母親ってああだよなあ、みたいなのが伝わってきてとても良かったです。ちなみに母親の声優が寺崎裕香さんでちょっとテンション上がりました。
あと、短いカットながら、東京タワーの外ロケの際に蘭子がくるみに縋りつくところは良かったです。ここに限らず、この二人の関係性や距離感は個人的にめちゃくちゃ好きでした。くるみが弱音を吐露するのも蘭子でしたし。
この関係性に限らず、くるみの等身大の感じとか、感性が一般人寄りなところとかはかなり好きでしたね。ラストで言っていた「人の人生に関与するのが怖い」なんて言うのは、共感できる人も多いはず。
で、弱さという点だと、美嘉も中々に等身大のキャラクターという感じがして好きだったりします。ボランティア仲間と言われて不満を抱いたり、自分に自信が持てていなかったり。
ゆうと蘭子の二人は、方向性は違うものの真っ直ぐで、色んな意味で眩しいです。4人ともにそれぞれの魅力があり、この4人だからこその『トラペジウム』だったと思います。
その他、ちょっとしたこと
あと細かい点ですが、美嘉の服装の着こなしとかから、性格の違いなんかを演出しているのは配慮が行き届いていて良いですよね。また、4人の中で素を曝け出していないゆうの人気が低かったりするのもリアルだなあと。
それと、作中で使われるノートがキャンパスノートのパチもんじゃなかったので気になっていたんですが、エンドロールでコクヨが協力に載っていました。ああいう協力は双方メリットあると思うので、バンバンやっていった方が良いよなあ、と思ったりしています。
また個人的に「お!」と内心で声が出てしまったのは、初めて美嘉と遭遇する書店のシーン。どんな意図かは分からないんですが、美嘉が立っている書棚が明らかに学術系の文庫コーナーなんですよね。読書好きとして、あの講談社学術文庫をモデルにした背表紙を見逃すわけには行きません。
その他、作画の良さや演出の魅力、音楽などについて書きたい気持ちもあるものの、輪をかけて小学生並みのことしか書けないので以下略。どうも、映像や音楽についての言語化に苦手意識があるんですよね。
おわりに
と言うわけで、映画『トラペジウム』の感想でした。ストーリーだけでなく、視覚にも楽しく気持ちの良い映画で、個人的に大好きな作品でした。ディスク化したら購入して手元に置いておきたいレベル。というか、たぶん買っちゃうんだろうなあ……。
見終わった後は年甲斐もなく前向きな気持ちになれたので、この気持ちを忘れず私も頑張ってみたいと思います。
ちなみに、作中のクイズで原作の連載紙である『ダ・ヴィンチ』と同名のロボットが問題として出されていたのはお遊びなのでしょうか、と気になっていることを書き込んだところで今回はこの辺で。ではでは。
▶トラペジウム (2024 / 日本)
▶監督:篠原正寛
▶脚本:柿原優子
▶原作:高山一実
▶製作:「トラペジウム」製作委員会
▶制作:CloverWorks
▶音楽: 横山克
▶配給:アニプレックス
▶出演者
東ゆう:結川あさき
大河くるみ:羊宮妃那
華島蘭子:上田麗奈
亀井美嘉:相川遥花
工藤真司:木全翔也(JO1)
古賀萌香:久保ユリカ
水野サチ:木野日菜
伊丹秀一:内村光良
老人A:高山一実
老人B:西野七瀬
*1:「可愛い子はみんなアイドルになるべき。アイドルになりたくない子なんていない」みたいな台詞。