はじめに
野村宏平氏の『ミステリーファンのための古書店ガイド』の冒頭に、古本屋についてこんな言葉が書かれている。
そこで古本屋へとおもむく。最初は近所の古本屋から。そして、神田の古書店街へ。古本屋とは、本を安く売っているだけの店ではないことに、ぼくは気づいた。そこは、新刊書店では手に入らない貴重な本を置いている書物の宝庫であった*1。
ミステリーの魅力に取り憑かれ、江戸川乱歩の『幻影城』を頼りに推理小説を読み始めた若かりし日の著者。お目当ての本を求め古本屋へと足を運び、上記の気付きを得ることとなる。
個人経営の古本屋が廃れ、ブックオフが隆盛を誇っていた時代に青春を送った私などは余計に、古本=安いという固定観念が強かったと思う。そして、神保町に降り立った時に初めて、自分の価値観が間違っていたことに気付いた。
名前と写真でしか知らなかったサンリオSF文庫が当たり前のように置かれている。中には、お札数枚が必要な文庫もある。見渡す限りの本の山。
軽い気持ちで来る場所じゃないぞ、と更に気付く。財布がいくらあっても足らない。
今以上に財力のなかった私は、確かコリン・ウィルソンの『迷宮の神』と他に数冊だけ買って、神保町を退散した。これが私のファースト神保町である。
古本屋に通わずとも積読が一向に減らない私は、通い辛さも相まって、その後も数えるほどしか神保町に行くことはなかった。野村氏が古書店を回っていた頃に比べて、ネットで本を買う選択肢も増えた。風情はないが、特定の本を買うのなら、こちらの方が圧倒的に便利なのだ。
ただ、何の気まぐれか去年の神田古本まつりには行ってみた。本当にその場の勢いで。
神田古本まつりで買った本たち。SFと思想系多めで計20冊。積ん読がまた増えましたが、これでも7000円くらいなのでセーフとします。#今日買った・届いた本を紹介する (※買ったのは昨日です) pic.twitter.com/8h50XSxbOT
— びねつ (@bine_tsu) November 4, 2024
そこで出会った一冊が、今回感想を書くK・H・シェールの『オロスの男』だった。まずそのタイトルに惹かれて書棚から取った。帯にデカデカと書かれた「恐怖のプラズマ生物!」の文字。帯付きなのは嬉しい。
あらすじによれば、どうも冥王星探検隊が、謎の生物と遭遇する物語のようだ。気軽に読めるSFは何冊持っていても良いものなので、迷うことなく購入した*2。
なんだか前置きが長くなった。
以下、『オロスの男』感想を書いていく。
ネタバレも含むので、これから読む方はご注意を。
あらすじ
冷徹にして優秀、部下のミスを許さず、規律を重んじる宇宙軍大佐ラムゼイ・エルトロン。彼に率いられた第一次冥王星探検隊は、冥王星にて謎の飛行物体を確認する。
飛行物体の墜落現場へと赴いたエルトロンと部下は、そこで人類を遥かに凌駕する知的生命体の反撃に遭う。エルトロンの身体を吸収し彼に成り代わった知的生命体は、自らの目的のために動き始める。彼の目的は一つ。
それは、遥か遠くにあるオロス星系に帰ることだった――。
感想
結論から言うと、本作は面白かった。単純なエンタメではあるが、SF的魅力も多分に含んでおり、ただ娯楽を追求したような作品では決してない。扱う題材からは想像もできない驚きもあった。
驚かされた点は大きく二つ。一つは本作の変身宇宙人が、人間に敵対的な存在ではないこと。そして、成り代わった側の宇宙人視点で物語が進むこと。
人に化けて集団の中に潜り込むタイプの宇宙人で言うと、やはり頭に浮かぶのは『遊星からの物体X』系のやつだろう。原作の「影が行く」からして、人狼ゲームよろしく疑心暗鬼を起こしながら、チームの中に潜む異分子を探し出すことに注力する。
宇宙人が敵対的で人類の中に潜んでいる以上、視点は人類側に限られる。これが成り代わり系の王道展開だとおもう。
対して、本作の宇宙人は人類以上に「人間的(博愛的?)」で、人類に対する敵意を持っていない。そして、宇宙人が誰に成り代わっているかはもちろんのこと、心の内までも地の文で説明されている。
成り代わり対象の冥王星探検隊司令・エルトロンは、優秀ではあるが冷酷無比。厳格に軍紀を敷き、部下からは恐れられこそすれ、慕われることはない男。しかも、ただ厳しいだけでなく、部下のミスを責め立てることに楽しみすら見出している節がある。
そんな典型的な嫌な上司に成り代わる宇宙人。
彼らの文化において、正当防衛を除いて、他者を傷つけることは厳格に罰せられる事項である。文化的理由だけでなく、生来の性格にしても、少なくともエルトロンよりは情を重んじる人物のようだ。
だからこそ、そんな彼がエルトロンを真似る際のちぐはぐさが読者の笑いを誘う。なんせ、異星人は周りに疑いを持たれぬよう、彼本来の優しさを抑えて、エルトロンらしく厳しく皮肉気に唇を歪ませ人と接するのだ。
ただ、エルトロンの仮面の下から時折覗かせる「人間らしさ」に、部下は不審顔を向けると同時に、好意すらも感じ始めてしまう。例えば、飛行物体の墜落現場で足を失った機関長のメリーマン。
彼が足を失い気絶している間に、新たなエルトロンは乗り物が故障することも厭わずにフルパワーで基地への帰還を果たす。その後、目を覚ましたメリーマンに対して異星人は快活な様子でやり取りを行い、彼の称賛を勝ち取ることとなる。
この「人間的」魅力が地球に残してきた妻にも働いてしまうのだから、元々のエルトロンからしてはたまったものではないだろう。だが、読んでいる側からすればかなり笑えるのは間違いない。
そして、宇宙人の視点から物語が進むのもこの本の魅力だろう。地球人の文化や価値観を前にして、違和感を覚えつつ、時にその視野狭窄な価値観を、圧倒的な俯瞰視点から批判する。
人間に擬態する彼ら種族の存在が周知されてからもこんな調子で、勢いのままにこんなことをしていたら、流石に正体がバレるだろうと思うが、そこはご愛敬だろう。
なお、本作には敵対的な宇宙人をクルーの中から探し出す、と言うお決まりのシチュエーションもあったりする。抗体を用いて血液から人間か否かを判定する様子は、まるで映画『物体X』の検査のようで、主人公の正体がバレるかバレないかという緊張感も含めて、中々に面白い。
それにしても、本作は主人公が人外でありながら、いやだからこそ、人間とのやり取りが面白い。中でも、先のメリーマンと決別する際のエルトロン(偽)からは寂しさが垣間見えて良い。
また、エルトロンの名を借りた異星の科学者と、エルトロンの妻・アルトリーとの別れは、ウルトラセブンの最終回を思い出した。なお、ここで見られる種族を越えた性愛を断る倫理感は、どちらかといえばヨーロッパ的な価値観なのかも知れないと感じた。異類婚姻譚は洋の東西を問わず見られるが、思えば、西欧の場合は神-人間、あるいは人間-元人間がベースにある気もする。
と、このように読み応えのある面白い作品ではあったが、翻訳のせいか、はたまた展開に性急な箇所が多いからなのか、この本は予想した以上に読み辛い。またSF的な科学考証も、門外漢からすれば飛ばし読み必至の個所となってしまっている。SFかくあるべしとばかりに、この手の科学描写が多いのだが、それもまた時代、あるいはお国柄からだろうか。
とは言え、この本が面白いことに変わりはない。良い掘り出し物だったと思う。
おわりに
ちなみに、この『オロスの男』には日本人が登場している。名前はミト・マツバラ。宇宙公安相、惑星間移民局長、太陽系警察庁長官という大層な肩書を持つ人物で、地球政府の大統領にのみ責任を負う権力中枢のトップ。それが彼だ。
終盤、エルトロンの正体に気が付くのも彼だし、中々に優秀な人物として作中では描かれている。この本が書かれたのは1959年。朝鮮特需の波に乗り、戦後復興を果たし勢いのあった日本を見た作者からすれば、日本は強かな強国と映っていたのだろうか。
今だったら、中国人になっているだろうなと、少し現実に引き戻されたところで今回はこの辺で。ではでは。