はじめに
少し前に『アノーラ』を観てきました。アカデミー賞で5部門受賞、監督のショーン・ベイカーは、単独作品で最多のオスカー4つを受賞したことでも話題となりました。
普段はアカデミー賞受賞作だからと言って観に行くことはないんですが、話題作は率先して観に行こうという気持ちは今年の抱負にも書いた通り。
また、普段観ない映画のジャンルを観ようと言う気持ちもあったりして、勉強も兼ねて観に行った側面もあります。まあ、結果的には好きなジャンルだったんですが。
と言うのも、実は何の前情報もなしにこの映画を観に行ったんですよね。あらすじはもちろん、監督のことも知らず、恋愛系の映画だろうな、と暢気に考えながら。
で、良い意味で裏切られた、みたいな。
ネタバレありで書いて行きたいので、未見の方はご注意を。また、観たのが少し前なので記憶が曖昧であることはご了承ください。
あらすじ
ストリップダンサーとして働くアニーことアノーラは、ロシア人の御曹司イヴァンと出会い意気投合。ロシアに帰るまでの7日間、契約彼女として過ごすこととなったアノーラは、最後の最後に勢いで結婚をしてしまう。
順風満帆かと思われた二人。しかし、息子の結婚を知った親からお目付け役が送られ事態は一転。果たして、二人の恋の結末は・・・。
感想
良い映画でした。どこがどう良い映画だったかはすぐに言語化できないものの、良い映画でした。観ている最中も面白いんですが、観終わった後も染み入ってくるような後味で、この映画について考えたくなる深みと複雑さがこの映画にはあります。
人を描き切れれば自ずとドラマは生まれる
この映画はしっかりと「人」が描けている。描かれる人々がみな画一的ではなく、人間的な多面性を持っている。その証拠に、ただストーリー展開や台詞回し、登場人物の言動を追っているだけでは理解できない。それがこの映画の深みの源だと思います。
物語の中心となるアニーことアノーラはもちろん、彼女と恋仲になるイヴァン、彼を捕まえるために派遣されたアルメニア人など、みながみな多面性を持っていて、ストーリーのための「キャラクター」ではないわけです。
中でもこの人間由来の複雑さが一番現れていると感じたのは、イヴァンとの離婚が成立した後の、アノーラとイゴールのやり取り。
普通の映画であれば、何だかんだと二人は惹かれ合い、最後はハッピーエンドへと至ってしまうことでしょう。しかし、この映画もとい現実はそうではないわけです。
祖母の薬を人に与え、祖母の車でアノーラを家まで送るイゴール。何も持たない彼と同じく、何も持っていないアノーラが与えられるのは、自らの体だけ。
しかし、それは彼女にとってプロの技。
それを知らず、彼女の心をも自分のものにできたと思い、唇を寄せるイゴールのなんと自分本位な「男」の性よ、と同じ男として情けなさも感じつつ、同時に共感もしてしまいました。
人を描きカメラで撮ればドラマが生まれる。
ロシアの新興財閥であるオリガルヒの存在や、主人公がセックスワーカーである点が異彩を放ってはいるものの、ストーリーを分解してみれば、どこにでもあるような話でしかありません。
しかし、それが映画として成立しているのは、人を通して現実を描き出せているからこそでしょう。
映画としての魅力。緩急、映像、役者の演技
そして、映画としてのリズム、緩急が巧みであることもこの作品の魅力だと思います。
見せ方が上手いからこそ、当たり前の物語であってもしっかりと没入させることができるわけです。下手をすると振り落とされかねない感情のジェットコースターを、乗っている人が落とされないギリギリで設計している感じ。
序盤のシンデレラストーリーのギラギラした爽快感、イヴァンが逃亡してからのバイオレンスでコミカルな展開、そして夢の終わり。これがシームレスに行われているのは流石の一言。
漫画において、真剣なカットの次のコマでギャグテイストの絵を描いても崩れない漫画家には*1、天性のものがあると私は思っていますが、ショーン・ベイカー監督にもそうしたセンスがあるのだなと感じてしまいます。
また、映画的な映像の作り方も巧みで、特にイヴァンと結婚に至るまでのシークエンスは滅茶苦茶良かったです。視覚、聴覚にガンガン来るような楽しさがあり、映像としても刺激的で観る者を飽きさせず、幸福感も画面ごしに伝わってきました。
そして、コミカルなシーンではありながら、同時に乾いた感じのするイヴァンの捜索パートも観る者を引き込みます。こうした色調の変化がしっかりと出せているために、終わりの静けさにも無理がありません。当然の帰結として、あのラストがあるわけです。
主演のマイキー・マディソンを始めとする役者たちの素晴らしい演技、場面に応じた音楽の使い方などもあって、改めて映画が総合芸術であることを、幸せを嚙み締めつつ実感することができました。
おわりに
と言う訳で、奇を衒わずに思いの丈を書いた『アノーラ』の感想でした。当初抱いていたイメージとは良い意味で違っていたこの映画、結果的に観に行って正解でした。
ちなみに、実はまだまだ掘り下げたい部分はあって、例えば、アニーがイヴァンに対して満足しているか気にしたり、その表れとして時間いっぱいまでプレイをしないか誘ったりする彼女の心理。また、アニーへの愛がイヴァンにあったのか、それともなかったのかなど、語りたい内容はかなりあります。
ただ、1回の鑑賞だけではただの思い付きの域を出ないので、今回はここまで。
次回更新内容は未定ですが、小説の感想か半年続けたダイエットの話でもしたいと思います。ではでは。