はじめに
先日Ⅹを眺めていたら、新宿シネマカリテの閉館を知りました。閉館するのは来年の1月とのこと。お知らせが出る数日前からここへ観に行きたい映画があり、行こう行こうと思っていた矢先のお知らせでした。
だからという訳ではないのですが、これを機にがぜん行くモチベが上がり、先日早速行ってみることに。同じ運営会社によるミニシアター、新宿武蔵野館へ初めて行ったことはこの前ブログでも触れましたが、シネマカリテも同様に今回が初。
場所はJR新宿駅中央東口から歩いて5分もかからないビルの地下。存在を知らなければ見逃してしまいそうな感じの隠れ家感がありました。

観に行った映画のタイトルは『水の中で深呼吸』。監督は本作が商業長編映画デビュー作となる安井祥二さん。主演は『猿楽町で会いましょう』でデビューかつ初主演を果たした石川瑠華さん。
実はこの映画がもともと観たかったわけではなく、観たい映画の公開時間を調べている際にたまたま存在を知り、シネマカリテでの公開が今月の14日までの公開だったこともあって折角ならと、観に行ってみることに。
公開時間が21時頃と言うことで、仕事終わりに行くには遅すぎるんですが、終わってみれば、観に行って良かったと心から思える映画でした。
あらすじ
水泳部に所属する高校一年生の葵。彼女が同級生の日菜を助けるため上級生に口ごたえをしたことから、学年対抗のリレー勝負をすることとなる。期日は3週間後。
リレーで上級生に勝つことを目標に練習に打ち込む一方で、葵は日菜に対して抱いた想いに悩み始める。自分の性別への疑問。そして、日菜への感情は一体何なのか。
感想
良い映画でした。掛け値なしに。青春の一幕と言う題材が刺さったのはもちろんなんですが、それを抜きにしても良い映画でした。胸を張って好きな映画だと言えます。
監督の商業長編デビュー作であること、そして若手俳優陣がメインであることもあってか、この映画からは今この瞬間にしか作り出せない雰囲気が感じられます。そのみずみずしい雰囲気が、本作の描くテーマと相まって、すごく良い。
登場人物がそれぞれ悩みを抱えてはいるものの、描かれる映像は美しく、淀みなく澄んでいて、観終わってみれば、夏らしい爽やかな清涼感が感じられます。そんな美しい映像の中、描かれるのは若者特有の悩みと苦しみ、そしてそれらへの向き合い方です。
誰しもが経験した息苦しさと青春の美しさ
この映画の石川さん演じる主人公・葵は、友人である日菜への感情をきっかけに、自分が「女の子」として扱われることに疑問を持ち始めます。
この手のテーマは昨今取り上げられがちではありますが、この映画において、ジェンダーや性自認の悩みというのは本質ではありません。むしろ、本作ではそれが若者の数ある悩みの一つとして描かれており、だからこそ、私たち観客も共感をもってこの映画を観ることができるわけです。
一括りにしてしまうのも憚られますが、若者特有の悩みの多くは、限られた狭いコミュニティと活動範囲の中だからこそ発生するものだと思っています。大人になってしまえば、何であんなことで悩んでいたのかと思う。しかし、当時の私たちにとってそれは息苦しく、切実な悩みだったことは確かなのです。
そんな若者の悩みや、高校生特有の人間関係が、透明感のある映像と共に描かれる。若手の俳優陣が醸し出す透明感も、この映画にマッチしていたと思います。
主演を務める石川さんは言わずもがな、どの方からも高校生らしい青臭さが滲み出ていてとても良かったです。これは若手の方にのみ許された特権と言うか、今だからこそ撮れた映像のように思います。
中でも個人的に目を惹いたのは、葵の友人・胡桃を演じた倉田萌衣さんと、水泳部の先輩・玲那を演じた松宮倫さん、そして葵の幼馴染・昌樹を演じた 八条院蔵人さん。
演じた役自体が好きな部分も多いとは思うんですが、台詞を用いずとも、彼らの視線や表情、振る舞いから、それぞれの悩みを感じ取ることが出来ました。
胡桃の場合は、仲間の状況を唯一俯瞰的に見ることのできる存在だからこその悩み。玲那は、後輩をいびる2年生に属しながら、水泳に打ち込む部のエースとして、思うところがあり、昌樹に対しても煮え切らない思いを抱えている。そして昌樹は、傍から見れば満ち足りているように見えながら、叶わない自身の想いに誰よりも気付いている。
みんなそれぞれの悩みを抱きながら、この映画は非常に美しい。映像と音楽による相乗効果で、透明感のある映画に仕上がっています。特に映像面では水を扱ったカットの鋭さは素晴らしく、群馬の美しい自然や町並みも綺麗に切り取られています。
スクリーンに映し出される彼らの青春は、思春期の苦しさこそあれ、ただただ美しい。
雑味のない分かりやすさから生まれた透明性
しかし、ここで「美しい」と書くことは、手放しでの称賛を意味しません。この映画を観終わり、余韻に浸る中で感じたのは、この映画がとても分かりやす過ぎると言うことでした。
それはつまり、雑味がないことを意味します。あるいは、すべてが合目的的に作られている、作為性が見えてしまう、と言い換えても良いかも知れません。
先に挙げた3人を含め、本作に出てくる人々は、感情移入の対象となる等身大の悩みを持つ人間であると同時に、どこか非現実的な「キャラクター」と言う側面を持ち合わせています。
端的に言えば、役割が定められているかのように、個々の人物は己が役割の域を出る行動をしていない。それはつまり、分かりやすく受け入れやすい人物である一方で、同時に奥行きのなさの裏返しでもあるのです。
この無駄のなさは、人物造形や彼らを動かす脚本だけでなく、使用される映像の面にも見られる特徴だと思います。この映画には、無駄なカットがない。すべてが必要な映像になってしまっている。故に、各映像の目的が透けて見える。
時間の制約もあったかもしれません。しかし、この無駄のなさがこの映画の美しさやみずみずしさに繋がっていると同時に、考えさせられるような深みが湧いてこない原因にもなっているのではと思っています。
綺麗過ぎる。
いくら面白くても、ジュブナイル小説では物足りなくなってしまったように、えぐみのない爽快感だけでは、どこか物足りないと感じてしまうのです。
とは言え、そんな思いが胸の内にあったとしても、私はこの映画が大好きです。こんなに綺麗ではなかったけれど、どこかこの映画に隣接する青春が私にもあり、彼らのように悩んだ瞬間が確かにあったのですから。
おわりに
最後は少し苦言めいたことを書いてしまいましたが、本当に良い映画だったと思いますし、時間を作って観に行って良かったと、心の底から思っています。
シネマカリテでの上映はもうすぐ終わるようですが、まだ公開中の劇場はあると思いますので、気になっている方には是非観に行って欲しいです。
ちなみに、作中で印象的に描かれるパン屋さんは実在のようで、その名も看板通りオリンピックパン。撮影が行われた中之条町の観光協会の写真を見る限り、葵たちが座っていたベンチもあるようですね。
私の場合はパン屋ではありませんでしたが、この映画を見ていると、帰り道に友人と過ごした帰りの分かれ道や、体育館横で駄弁った記憶が蘇り、懐かしくなりました。きっと、誰しも思い出の中には、それぞれのオリンピックパンがあるのだと思います。
と、最後はらしくもない臭いことを書いたところで、今回はこの辺で。