たぶん個人的な詩情

本や映画の感想、TRPGとか。

たぶん個人的な詩情

MENU

【読書感想】井谷昌喜『クライシスF』――引き算を間違えて起きる事故の多発。原因を追う記者の前に、国際的な陰謀が立ちふさがる。

はじめに

今回は、もとより予定した本の感想を変更して、小説の感想を書いていく。取り上げるのは、光文社が主催する「日本ミステリー文学大賞新人賞」の第一回受賞作、『クライシスF』。

広義のミステリーを募集する賞だけあって、ジャンルとしては推理小説に分類されるのだが、推理小説は推理小説でも、表紙の左上に書かれている通り、本作はサスペンス小説となっている。

クライシスF (光文社文庫)

しかも、サスペンスはサスペンスでも、個人の諍いなどとはかけ離れた、かなり大規模な事件が本作では描かれる。何せ、あらすじには「引き算を間違えて死に至る事件が日本で同時多発!?」と書かれているのだ。

随分と大風呂敷を広げたものだと感心し、どんな論理的な帰結を導き出すのかお手並み拝見、と言った気持ちで本書を手に取った。

そして、今こうして急遽感想を書いていることからも分かる通り、本作はとても面白かった。話の早い段階で大枠は予想がついてしまう点と、少し筆運びに難を感じる部分は気になったものの、それを無視してしまえるリーダビリティの高さがこの本には確かにある。

今回は、本書を読んでいる人に向けたネタバレ全開の感想を書いていく。もしもまだ読んでいないのなら、ぜひ読んでから感想を読んで欲しい。ありがたいことに、電子書籍でも刊行されている。

あらすじ

かつて社会部で辣腕を振るった新聞記者・自見弥一(じみやいち)は、離婚を機に前線を引き、自ら選んだ閑職で時間を潰していた。

しかし、偶然依頼された調査――引き算を間違えて事故死したダイバーの事故を皮切りに、自見は引き算のできなくなる事例が世界規模で起こっていることを知る。

調査を進める中で自見と仲間たちは、事件の裏に潜む世界的な陰謀の存在に気づくのだが…。果たして、彼らはこの陰謀を食い止めることができるのか。

感想

先にも書いた通り、引き算を間違える症状(ネオ・アカルキュリア症候群)の原因の一端は早い段階で予想が付く。また、本書のあらすじに「環境問題をテーマに据えた」などと言う文言が書かれているのも、いかがなものかと思わなくもない。

ただ、ネタは分かっていても先が気になる作りとなっているのは間違いない。引き算が出来ない症候群、眠り病、ロシアの企業などなどが絡み合い、真実に近付く人間には口封じが待ち受ける。

更に、黒幕の目的と言うのが、回り回ってソ連の復活と言うのだから、好きな人は好きに違いなく、少なくとも私は思わずにんまりしてしまった。

こうしたハリウッド顔負けの外連味が楽しめるのならば、この手のサスペンスとしては言うことなし。細かい瑕疵など突っ込むのが野暮と言うものだろう。

そして、話の構成のみならず、題材とネタ自体も個人的には面白く感じた。遺伝子組み換え作物と、健康補助飲料水(今で言うエナジードリンク)。これらがビジネスの観点から結びつき、マッチポンプで利益を生み出そうとする。

前世紀に比べ、遺伝子組み換え作物への関心度合いは低くなったが、エナドリの話については、様々なエナドリが店頭に並ぶ今だからこそ、より身近に感じる部分があり、面白かった。

本書の発売は1999年。既にリポビタンDやレッドブルは存在していたものの、今ほど気軽に、そしてカジュアルには普及していなかったに違いない(そもそも、レッドブルが日本で販売され始めたのは2000年代、モンスターエナジーは2010年代)。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

実際、今の世の中エナドリを依存的な形で摂取している人は増えており、エナドリ中毒はそれ自体マッチポンプと感じられなくもない。

企業の策略だ何だと陰謀論を振りかざしたくはないが、甘味料を含む飲料による被害を目の当たりにすると、あながち馬鹿にはできない気もする。詳しくは、映画『あまくない砂糖の話』を観て欲しい。

bine-tsu.com

おわりに

サスペンスを楽しむ上でのフィクショナルな部分を多分に残しながら、それでいて現実ともしっかりと地続きな作品となっている『クライシスF』。

作者の井谷氏は残念ながら本作以降盛んに作家活動をしていないようだが、本作の続編として『サラブレッドの亡霊』と言う作品も存在するようだ。

そのほか、日本ミステリー大賞新人賞を受賞する前の作家活動では、『貪食細胞』『裁かれる受胎』『標的ウイルス』『細菌ストーム』『電脳細菌殺人事件』と言った作品も書いているらしい。

あらすじは知らないが、どの作品も外連味に溢れたワクワクさせられるタイトルばかりなので、気長に探して読んでみたいところだ。

本作は古本屋でたまたま見かけて読んでみたのだが、やはり古本屋巡りの楽しいところは、こうした掘り出し物を見つけられることにあると思う。

これは古本に限らないが、インターネットで本の購入が容易になった昨今、実店舗での本との付き合い方は、未知の本との出会いにあるのではないだろうか。

と、最後は本の話をぶち込んだところで、今回はこの辺で。ではでは。


▶クライシスF
▶作者:井谷昌喜
▶カバーデザイン:多田和博
▶発行所:光文社
▶発行日:1999年8月20日初版1刷発行