たぶん個人的な詩情

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【読書感想】バーナード・ベケット『創世の島』――ポストアポカリプスの世で少女は挑む。口頭試問と、この世界の真実に。

創世の島

はじめに

語りえぬものについては、沈黙せねばならない。今回取り上げる『創世の島』も、ネタバレをしないようにし過ぎれば、語りえぬものと言っても過言ではないかも知れない。

それと言うのも、本書について語ろうとすれば、ほんの少しの匂わせや書きぶりがネタバレに直結しかねないからだ。言うまでもなく、何かの作品に似ていると書けば、それ即ち二重の意味でネタバレとなってしまう。

が、この本は面白かったので、感想は書いて行きたい。そこで今回は、この辺りを意識しつつ感想を書いて行きたいと思う。ネタバレが気になる方は注意されたし。

感想

まず、口頭試験という設定が上手い。試験官の質問に答える形で、主人公の少女、アナクシマンドロスはこの世界の背景知識を私たち読者に教えてくれる。つまり、我々の勝手知ったる文明は疫病により既に滅び、プラトンという富豪によって共和国が建設されたということを。

彼はその財力を用いて、現ニュージーランドの地に高い防壁を造り、疫病からその地を隔離した。外部からの侵入をことごとく阻止し、健全な国を作り上げたのだ。共和国は創建者の名前に違わずプラトン的な国家体制で、まるで『国家』から抜け出してきたような理想を体現している。

そんな共和国を、試験場にいる人物たちは歴史的な立ち場から俯瞰する。アナクシマンドロス、通称アナックスと試験官は、どうやらそのような時代にいる人物らしい。そしてアナックスは、この共和国に生まれ既に死んでいる人物、アダム・フォードについて専修のテーマとし、この試験を通してアカデミーへの加入を目指している。物語の冒頭で伺い知れるのはそれくらいだ。

アダム・フォードなる人物は、この国では知っていて当然の人物らしい。が、読者は当然未来の義務教育など何も知らない。私たちはアナックスの試験を通して、彼が何をしたのか、何をしてしまったのかを少しずつ知ることとなる。

これが大まかな本書の構成だ。登場人物は基本的にアナックスと試験官だけ。しかもプラトンを彷彿とさせる戯曲形式で展開されるため、内容は非常に読みやすい。ただし地の文はなくとも、アナックスと試験官の会話に付きまとう緊張感は重くのしかかる。

ネタバレあり

それにしても、本書の構成は素晴らしいの一言に尽きる。「地獄への道は善意で舗装されている」とばかりに、結末という地獄に向かって、著者の思惑で真実を塗り潰してしまっているのだ。読者にとって未知の世界だけに、多少の違和感は無視して読み進めてしまうことだろう。

地の文がないという点も、描写を省くという点で上手いカモフラージュになっているのだろう。表紙のイラストも良いミスリードだ。指導教官のペリクレスをハンサムだと評したうえで、アダムに重ねる演出も巧みなことこの上ない。若いペリクレスとのロマンスが匂わされ、読者は自然と「人間」としてのペリクレスを想像してしまうわけだ。

ただ、実はこの小説の雰囲気からあるSF小説を連想してしまい、オチについては薄々予想が付いていた。帯の「最後の数ページの衝撃!」という言葉や、本のそでに書かれたあらすじも、良くない働きをしていたことは否めない。

しかし、だからと言って驚きがなかったわけではない。アートの姿を通してオランウータンのグロテスクさを印象付けていただけに、この真実は衝撃的だ。自らが寄る辺としていた「信仰」、他者を傷つけないというプログラムが嘘偽りであり、崩れ落ちていく様もカタルシスがある。アカデミーへの入学試験がバグの選別だというのも、ありがちな設定だが面白い。

登場人物の正体という大きな謎を軸としながら、随所に挟まれる哲学もまた、本書の大きな魅力の一つだ。特に面白いと思ったのは、アートの語る「思考」の自律性。思考は外部の存在であり、自らが乗り移る宿主を産み出すため、宿主の思考を操りロボットを作らせる。これはとてもSFチックで面白い発想だ。

そしてアダムがアートに残した「思考」と、その伝染。アカデミーがいくら対策を講じ第二、第三のアナクシマンドロスを葬ろうと、いつか思考は広がり、史上最高の時代も終わりを迎えるだろう。それは共和国が変化を抑えて崩壊したように。

おわりに

本書によれば、私たちの世界はアメリカと中国(そして日本)の対立の果てに、疫病が撒かれ終わりを迎える。この本が出版されたのは2006年のことで、原因にしても人為的なものではあるが、コロナを経験した身からすれば少し嫌な感じはする。

また、人々が疑心暗鬼に陥り、隣人の中に敵を見つけ分断されていくという崩壊の序曲も、近年の世界情勢を見れば慧眼この上なく、笑い事ではない。ただし、小説の内容を枕に社会問題を語る、安っぽい社説にこの感想記事をしたくはないので、今回はこれぐらいにしておこうと思う。

では。


▶創世の島 (Genesis / 2006)
▶著者:バーナード・ベケット
▶訳者:小野田和子
▶解説:小谷真理
▶カバーイラスト:松尾たいこ
▶カバーデザイン:岩郷重力+WONDERWORKZ。

▶発行所:早川書房
▶発行日:2010年6月15日初版発行