はじめに
名前は知っていても読んだことはない。今後いつ読むのかも分からない。もしかすると死ぬまで読まずに済ませてしまうのかも知れない、そんな作家。本読みであれば誰しもそんな作家はいると思う。私にとって、西村京太郎はそんな作家の一人だった。
トラベルミステリーの第一人者であることはもちろん、代表作である十津川警部シリーズの存在も当然知っていた。学校から帰ると、母がリビングのソファに寝転がりながら高橋英樹さん演じる十津川警部のドラマ版を見ていたのは日常茶飯事だったし、十津川警部を渡瀬恒彦さんが演じていたドラマも観た覚えがある。
今はどうだか分からないが、一時は駅のキオスクでも売られている小説のほとんどが西村京太郎作品、だなんて状況を目にした記憶も確かにある。
突然の訃報に接した時は、何か一つの時代が終わったことを漠然と感じた。訃報を機に何か読みたいと思っていたのも今は昔。結局読まずに2年の月日が経ってしまったわけだが、今になってようやく西村京太郎作品を読んでみた。
この本との出会いは確か今年の初め頃。申し訳ないことに、図書館のリサイクルコーナーでのことだった。図書館で廃棄となった本を自由に持ち帰れる、あのコーナーだ。
まさしくたまたま出会ったわけだが、数年前に孤島が舞台のミステリを読みたくて調べた時に、西村京太郎氏の孤島ものの存在自体は知っていた。それが今回感想を書いて行く本なのかはちょっと覚えていないのだけど、こういう作品も書くのかと、ちょっと驚いたことを覚えている。
前置きが長くなった。今回はそんな西村京太郎氏の孤島ものである『幻奇島』の感想を書いて行く。本作は、事故を起こして左遷された若い医師が、石垣島のそのまた先にある離島、御神島(おがんじま)で殺人事件に巻き込まれると言う、サスペンス色の強いミステリーだ。
独自のニライカナイ信仰が起こる牧歌的な島で起こる殺人、と言うアンバランスさがとても面白い作品で、謎解きよりかは雰囲気を楽しむ作品なのだけど、興味があれば是非とも読んで欲しい作品となっている。ちなみに、今ならKindle Unlimitedで無料で読むことができたりする。
あらすじ
大病院の内科医として勤務する西崎は、不意に飛び出してきた女性を車で轢いてしまう。飲酒とスピード違反による過失。出世の道が絶たれた彼は、院長の命で沖縄の離島・御神島へ左遷される。
病院から姿を消した女性の謎に後ろ髪を引かれつつ、御神島へと降り立つ西崎。そこでは独自の信仰のもとに、人々が貧しくも牧歌的な生活を営んでいた。西崎が病院から消えた女とよく似た島の娘と結ばれた夜、研究のため島を訪れていた民俗学者が殺される。そして事件はそれだけでは終わらず――。
感想
読みやすく入り込みやすい、リーダビリティの高さ
西村作品に初めて触れてみて驚いたのは、何と言ってもその読みやすさにある。実はこの本、リサイクルコーナーで手に入れすぐに読み始めた後、家の中で一時所在がわからなくなっていた。結局、普段は使わない鞄の中に入っていたのだけど、栞と言う名のクーポン券の挟まったページから読み始めても、問題なく世界観に入り直すことができたのだ。
どんな作品であれ、久しぶりに途中から読み始めて、問題なく読めてしまう本と言うのも珍しい。これは良い意味で形式化された世界観とキャラクターの為せる業だろう。現代社会に未練を残す合理主義者の医者と、彼から見れば非合理な信仰に生きる島民。日本人の起源を求め、島を訪れる民俗学者。島の生活に安らぎを見出し、信仰に肩入れする先任の医師。
魅力的ではあるが、同時に記号化されたキャラクターとわかりやすいストーリーは、舞台である御神島のように来るものを拒まない。きっと誰もが読めてしまう作品となっていることだろう。
御神島の信仰と島民の
また、独自の信仰が生きる島で起きる殺人事件というのも面白い。普通、クローズドな空間で殺人が起きれば、人々はパニックに陥り犯人探しに躍起になる。疑心暗鬼にもなるだろう。だが、この島では誰も人の死に対して騒がない。それが例え明らかな殺人であってもだ。
それは、彼らが人の死を神の領分として考え、自分たちで「解決」することだと考えていないからに他ならない。巫女からの託宣により、犯人は十分な罰を受けたと言われればそれで終わりなのだ。死は悪いことではなく、ニライカナイへ行くことだと彼らは考えている。法治国家に生きる主人公からすれば、それは信じられない事態である。
主人公からすれば、島民への不信感は当然高まる。かつて本土で暮らした先任の医師を通して語られる信仰の在り方は、現代人の彼からすれば特異に映る。それは読者の目からしても同じかも知れない。だが、医師の語る信仰の在り方に、心惹かれるものがあるのもまた事実であろう。この本が書かれた七十年代以上に、今の現代人の方がこれは切実かも知れない。
先任の医師は語る。心から信じられるものがあることは幸福だと。マルクスが流行りカント哲学が廃れてしまったのは、カントが間違っているからではない。その思想が人々を魅了する力を失ってしまったからだと。人を酔わせるだけの魅力を持つ信仰が島にあることは、幸福なのだと。それが例え迷信であっても。
ひと夏の出会いと別れ
ネタバレは避けるが、この本の終わり方は寂しくもあり、同時に爽やかでもある。この本を読み始めた時は、まさかこのような読後感を覚えるとは思ってもいなかった。
事件の真相も面白いが、それ以上にこのラストに至る過程とエンディングを私は評価したい。これがただの謎に対する推理を披露して終わるミステリであったら、私はこの本の感想を書いていなかったかも知れない。それぐらい、この本の結末は素晴らしい。
余韻が残ると言えば良いのだろうか。この本を読んだ人ならきっと同意してくれるだろうが、これに関しては是非とも実際に読んで確かめてみて欲しいと思う。
おわりに
寒々とした冬の気配もどこへやら。ここ数日は春めいた暖かさが続く。マンションのゴミ置き場横の桜も、気付けば咲き始めていた。きっと夏を感じるのもすぐだろう。夏と言えば海。沖縄ではなくとも、どこか海を見たくなるそんな一冊だった。
このところ、作品の消化に対してアウトプットが間に合わない生活を送っていた。日々の生活の合間を縫って、ブログを書くのは思いのほか大変な作業である。が、何とか月2ペースは保って行きたい、と決意を新たに今回はこの辺で。
▶幻奇島
▶著者:西村京太郎
▶カバーイラスト:緒方雄二
▶カバーデザイン:秋山法子
▶発行所:徳間書店
▶発行日:1995年7月31日初版発行