たぶん個人的な詩情

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読書:『5000年前の男』――彼はどこから来たのか。彼は何者なのか。アイスマン発見にまつわる物語。

先日感想を書いた『神の起源』と言う小説では、南極での4万年前の死体の発見が、主人公たちを世界的陰謀に巻き込む切っ掛けとして描かれていました。このエピソードはもちろんフィクションですが、この話に説得力を持たせるため、作中ではアルプス山脈で発見された5000年前のミイラ、「アイスマン」について触れられています。

アイスマン、あるいはエッツィ*1とも呼ばれるこのミイラは、ある登山家夫婦によって偶然にも発見されました。場所はイタリアとオーストリアの国境近く、アルプス山脈の標高3210m地点。1991年9月19日のことです。

当初は遭難者の遺体だと考えられていたものの、遺留品の斧や状況証拠から考古学的発見だと判明。しかも調査の結果5000年前のものだと分かり、一躍「彼」は時の人と相成りました。

私自身当時の様子は知らないものの、当時を知る人によればこのニュースは相当な盛り上がりを生んだようで、なんとタイム誌は1991年の有名人トップ25にこのエッツィを選んだのだとか。また、日本でもスズキ自動車がこのミイラの名にちなんだ特別モデルの自動車を発売したのだそうです*2

このように各方面に波及した5000年前のミイラ、エッツィ。その発見に始まる一連の事態や、調査によって判明した情報がこの本にはコンパクトかつ濃密にまとめられています。

現場の詳しい状況はもちろん、どのような人々がミイラと遺物の発見に携わり、収容作業が行われ、学者の手に渡り研究されるに至ったのか。時系列に沿って当時の様子が事細かに描写されるため、本書からはまるでドキュメンタリー番組を見ているかのような臨場感が味わえてとても面白いです。 

例えば、現場が窪地であったために、水路を作って溶け出した水を流す必要があったなどと言う情報は、些細ではありますがなるほどと思わされますし、エッツィを巡ってオーストリア・イタリアの両国、そして自治領である南チロルが権利について話し合う様子は、考古学とはまた違った興味をそそられるエピソードでしょう。

また、エッツィについてジャーナリストがおこしたデマや、当時学者たちに寄せられた批判に対する回答などが書かれているのも、実際に現場に立っていた著者らしさが滲み出ていて個人的には良かったと思います*3

そして、何よりも本書で力点が置かれているのは、遺体の所持品の用途や産地についての類推と、それらの情報から著者が「彼」の正体について推理を巡らせる仮説パートでしょう。

これは本文中で触れられていて気づきましたが、このミイラはその古さや保存状態だけでなく、埋葬を経ていない行き倒れの死体だったと言う点でも、とても稀有で貴重なものなわけです。

そんなエッツィが生前どのような立場に属し、何のために山を登り、何故死ぬに至ったか。限られた情報から彼について推理していく過程は興味深く、考古学という学問の面白さがよく分かります。例え本書の情報が古くなっていたとしても、推理小説のような読み応えと面白さは未だ古びていません。

口絵のカラー写真を始め、本文中でも写真や図版が多数使用されているので読みやすく親切ですし、その点でも本書は読み応えがあります。ざっとアマゾンで調べてみても類書はほとんどありませんし、彼についてまとまった情報が欲しいのなら是非とも手に取ってみて欲しいと思います。

では今回はこの辺で。

▶5000年前の男 / DER MANN IM EIS (1993)

▶著者:コンラート・シュピンドラー

▶訳者:畔上司

▶カバー・本文デザイン:番洋樹

▶カバー写真:Dr. Gerlinde Haid/Orion

▶発行所:文藝春秋

▶発行日:1998年1月10日第1刷

*1:「エッツ渓谷の雪男」を意味する“エッツターラー・イェティ”を縮めたもの。命名はウィーンの記者、カーツ・ヴェンドルによるものらしい。コンラート・シュピンドラー『5000年前の男』、113頁。

*2:なお、軽くネットで調べてみた限りではソースが見つからず真偽は不明。

*3:著者のコンラード・シュピンドラー氏は、この調査に発見当初から携わってきたインスブルック大学の考古学教授