たぶん個人的な詩情

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映画:『ウルトラヴァイオレット』――“格好良さ”大なり“リアリティ”

Prime Videoにて『ウルトラヴァイオレット』を鑑賞。

監督・脚本はあの『リベリオン』を手掛けたカート・ウィマー。痒いところに手が届かない部分、物申したい部分はありつつも、『リベリオン』は制作陣のやりたいこと、見せたいものがはっきりとしたいい映画だったと思います。代名詞ともなっている銃撃アクション、通称ガン=カタだけでなく、『華氏451度』的なディストピアものとしても中々によくまとまっていて、どうにも憎めない作品なんですよね。特に最後の戦闘が最高で、あの手に汗握るガン=カタはもちろん、冒頭とリンクしたイェイツの詩の引用は見る者の中二心をくすぐります。

というわけで、監督繋がりで本作の存在は知っていたものの、これまで見ることはなかった『ウルトラヴァイオレット』。それと言うのも、『リベリオン』に比べてあまりに話題になっておらず、そのために本作からは強い地雷臭を感じ取っていたのです。

果たしてその予感は合っていたのかと言いますと……“うん、まあこういう映画だよね”という、良くも悪くも期待通りと言うか、悪い意味で予想を裏切らない出来栄えでした。

とは言うものの、駄作とただ断ずることの出来ない魅力がこの映画にはあるんですよね。これは『リベリオン』にも通じることなんですが、監督の思う格好良さが画面にはっきりと打ち出されていて、そこに共感できるか否かが評価を左右する、そんなタイプの作品だと思います。

舞台は近未来、未知のウイルスに感染した超人類“ファージ”は、彼らを弾圧する政府に対抗するため地下組織を結成、小規模なテロを企てるが、そうした努力も空しく、彼らは徐々に追い詰められていく。

そうした中、ファージの殺し屋として名高いヴァイオレット(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、政府によって開発された、ファージ殲滅の鍵を握る秘密兵器を奪取することに成功する。しかしそれは兵器などではなかった。それは彼女の予想に反し、年端もいかない人間の少年だったのだ。彼を殺すことを是とする組織を裏切り、少年を助けてしまったヴァイオレットは、彼の回収を目論む政府と組織、人間とファージの両陣営から逃げることとなる。果たしてシックスと名乗る少年に隠された秘密とは、二人は無事逃げのびることが出来るのか……と言った内容。

見て分かる通り、政府とレジスタンスの二項対立、ディストピア的世界観、圧倒的なまでの強さを誇る主人公などなど、『リベリオン』と通じるものがたくさんあります。

しかし、集団を離れた第三者としての立ち位置や、少年を守るために“母親”として成長するヴァイオレットなど、両作品の違いは明白で、『ウルトラヴァイオレット』はクリスチャン・ベールミラ・ジョヴォヴィッチに置き換えただけの『リベリオン』ではありませんでした。

またCGを多用した演出も大きな変化でしょう。コミック的なエッセンスを加えたとでも言いましょうか、前作に比べ派手目の演出が多く、オープニングのクレジットではアメコミ風のイラストが使われていたりと、その辺りは意識的なように思われます。 

中でも冒頭のアクションで多用される“重力レベラー”なる装置の起動演出や、それにともなう壁面でのヘリとバイクのカーチェイスなどはあまりに漫画的で、前作の演出を念頭に置いていた私などは思わずぎょっとしてしまいました。  

こうした変更は『リベリオン』の焼き直しを防ぐ上で大切ですし、いいなと思う部分も当然ありましたが、全面的に成功だとは言えないのが非常に残念なところです。

これらは恐らく、やりたいことや見せたいシーンを詰め込み過ぎた結果なんだと思っています。『リベリオン』は『華氏451度』という下敷きがあったために、ストーリー上の流れは分かりやすかった。それに対して本作のストーリーは正直分かり辛い。今ヴァイオレットが何をしているのか、次の目的地は、などなど、いまいちはっきりとしないまま物語は進んでいきます。彼女がシックスを助けることを決意してから行動の指針ははっきりとしますが、それまでがあまりに長い。一連の迷走はヴァイオレットの不安定な心境を表現している、というにはあまりにお粗末な出来栄えでしょう。

また演出も派手になった分だけ軽さが増し、どうにも説得力がなくなってしまったように思いました。言うならばスタイリッシュ過ぎる『スター・ウォーズ』新三部作の殺陣とでも言いましょうか、重さがまったく感じられない。序盤のアクションは関節を壊しに行く中々にえぐいスタイルでよかったのですが、徐々にその勢いは減じていく。

その他、物申したくなる箇所は多数あって、お前文句しか言っていないじゃないかと言われればまさにその通りなんですが、最初にも述べた通り、個人的にこの映画は結構好きなんですよね。

何が良いのかと言えば、それはまさしく“格好良さ”に他なりません。

リアリティや整合性なんてクソ食らえで、格好良い画を撮る。カート・ウィマー監督はそれでいいんだと思います。本作にもリアリティを考えるとおかしいシーンは結構、というかかなりあります。例えば複数人が取り囲んで中心に向かって乱射するシーン。それは素人でも危ないと分かる。けれどそこはリアリティではなく格好良さを重視しているわけで、この映画の場合、それでいい。というか、それがいい。

個人的にお気に入りのシーンもそう言った格好良さ優先のシーンで、それは物語の終盤、ヴァイオレットが単身政府のトップ、ダクサス枢機卿のもとへと車で駆けつける場面。彼女を待ち構える枢機卿は、ヴァイオレット一人のために部下の兵士を数百人単位で並べる。それも二列、しかもその中心の最前列には枢機卿が自ら陣取っている。これを俯瞰で撮っているんですが、このカットが本当に格好良い。その後、ヴァイオレットのバックからこの兵士の一団を撮るカットも、圧倒的な数の暴力を感じさせる個人的盛り上がりポイントの一つで、背景の近未来感も合わさってとても痺れる出来栄えになっています。

あと格好良いと思ったのは、街中で即時に発行される薄型の使い捨て携帯電話、四次元ポケットからの変則リロード、銃の過熱による傷の応急処置などのちょっとした演出。いわゆるオタクが好きそうな演出がよくわかっているという印象です。

また、ミラ・ジョヴォヴィッチの格好良さないし美しさを語らずして本作の魅力を語ることはできないでしょう。『バイオ・ハザード』シリーズで見かけた程度の認識だったため、こんなに綺麗な方だとは思っておらず、映画視聴中に驚くことしばしば。

特に本作では彼女の顔のアップやボディラインを映し出すカットが多いんですが、それに耐え得る美しさが彼女にはありました。アクションもしっかりこなしていて、ヴァイオレットは彼女以外にはなかったかなと。

役者繋がりで言えば、本作の敵役・ダクサス枢機卿を演じるニック・チンランドもよかったですね。彼のことは本作で初めて知ったんですが、どことなくハリソン・フォードを彷彿とさせる風貌で、憎らしいまでにスマートな悪役を演じ切っていたと思います。鼻に詰め物をしていても画になっているのは凄いの一言。

カート・ウィマー、どうやら本作以降に監督としての活躍はしていないようですが、いつかまた格好良い映画を撮って欲しい。脚本は他の人に投げてしまっても構わないので、自分が格好良いと思う画をひたすら撮って欲しい、と言うのが一ファンの思いです。

ウルトラヴァイオレット (字幕版)

▶Ultraviolet (2006) /アメリ

▶監督・脚本:カート・ウィマー
▶製作:ジョン・バルデッチ、ルーカス・フォスター
▶製作総指揮:スー・ジェット、チャールズ・ワン、トニー・マーク

▶音楽:クラウス・バデルト
▶撮影:アーサー・ウォン、ジミー・ウォン
▶キャスト

ミラ・ジョヴォヴィッチ:ヴァイオレット・ソン・ジャット・シャリフ
キャメロン・ブライト:シックス
ニック・チンランド:ファーディナンド・ダクサス