たぶん個人的な詩情

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【映画感想】『天使の処刑人 バイオレット&デイジー』――少女から大人へ。人として人を殺すと言うこと。

創作にばかり触れていると、つい人の命の重さを忘れそうになる時がある。主人公の放った銃弾に倒れる敵。天変地異に巻き込まれ、数字で処理されてしまう被災者。ファーストネームだけが設定され、早々に退場する仲間A……。

映画においては端役に過ぎない役割の彼らにも、当然彼らの人生があったはずだ。彼らも誰かの親であり、子であり、恋人であったのかも知れない。彼らが死んだ時に悲しむ人がいたのかも知れない。そうした背景を、私たちはつい忘れそうになってしまう。

いや、見ないようにしているのかも知れない。

本作『天使の処刑人』は、バイオレットとデイジーと言う少女二人組の殺し屋が、ターゲットとの交流を通して、図らずも命と向き合うことになる物語だ。殺し屋としてこれまで数多くの命を奪ってきた少女たちが、命の重さを知る物語でもある。

間違っても、本作はアクション映画を求めて見る類の作品ではない。単なるジャンル映画でくくるには、本作は少し複雑で欲張っている。可愛くて、不思議で、オシャレな雰囲気。そんな好き嫌いの分かれる作風ではあるけれど、私はこの映画が嫌いではない。

以下ネタバレありきで感想を書いていくので、気になる方はご注意を。


映画『天使の処刑人 バイオレット&デイジー』予告編

二人組の殺し屋であるバイオレットとデイジーは、仕事を片付けたのも束の間、新たな仕事を上司から頼まれる。当初は仕事を拒否しようとする二人だが、憧れのドレスを買うため、結局仕事を受けることに。

そんな新たな仕事のターゲットは、一人の冴えない中年男性。彼はこれまでのターゲットとは異なり、抵抗するそぶりを見せない。むしろ彼は、自ら死を望んでいるようにさえ見える。

戸惑いを隠せない二人は、図らずも彼と交流を深めていく中で、仕事の遂行に躊躇いが生じ始めてしまう。作中でも触れられているが、養豚場のブタに名前を付けることはない。情が移ってしまい、殺せなくなるからだ。

そして、ターゲットとの交流を通して、二人の関係性にも変化が生じ始める。当初は互いに寄りかかり、依存し合う共依存の状態にあった二人だが、デイジーはターゲットとの友情を育む内に、精神的な自立を果たしていく。

だが、そんな彼女の成長をバイオレットは許せない。彼女にとってデイジーは守るべき対象であり、自分の思う通りにならないと気が済まないような存在だからだ。そしてデイジーが実弾を込めずに仕事に就いていた事実の発覚も、より彼女を怒らせる。

その後、デイジーがドレスを貰ったことで怒りはピークを迎え、一触即発の状況を迎えてしまう。しかし、ターゲットからのプレゼントが彼女の怒りを鎮める。それは一つのカメラだった。

ドレスとカメラと言う異なる贈り物を貰った二人は、最終的に彼を殺すことで、それぞれ別の道を歩み始める。疑似的な親殺しを経験し、成長した二人。ドレス購入後、別々の帰途に就くことで、共依存関係の解消が示唆される。

度々描かれてきた無邪気な少女たちの姿は、音楽の軽やかさと相まって、本作のシュールな魅力の一つとなっていたわけだが、本編が進むにつれ、そうした描写は徐々に薄れていく。それは、少女たちの成長と無関係ではないだろう。

言ってしまえば、本作は二人の少女の成長を描いた映画なのだ。彼女たちが殺し屋であることも、ターゲットの殺害を躊躇うことも、家族を喪失していることさえも、恐らく作品の本質ではない。

だからこそ、本作はリアリティラインを低く設定しても成立してしまう。殺し屋としての甘さ、プロ意識の低さ、ターゲットの行動原理。アクション映画として見れば欠点となるこれらの要素も、本作においては許されてしまうのだ。

むしろ、こうした要素を許せる人でなければ、この映画は楽しめないかも知れない。

正直に言って、本作はお世辞にも完成度の高い映画とは言えないだろう。それでも、本作の不思議な雰囲気と、少女たちの危うさに彼女たちの成長、そして疑似的な親子関係の描写を、どうも嫌いになれないのだ。

こうした好印象の理由として、バイオレットとデイジーを演じる二人の存在も無関係ではないだろう。アレクシス・ブレデルは、ティーンエイジャーらしい可愛らしさと奔放さを見事に表現していたし*1シアーシャ・ローナンの透明感のある美しさは、見るものを引き寄せて離さない。

そしてもちろん、ジェームズ・ガンドルフィーニの演技もいい。父親として、大人として、少女たちを導く役を見事に演じ切っている。

また、時折挿入される映像の美しさも見逃せない魅力だと思う。冒頭で映し出される一面の満月や、幻想的な雪景色、空を舞う戦闘機の一群は、本作の不思議な雰囲気の演出に一役買っている。

さて、物語の最後、前へと進み始めた彼女たちはその後どうなったのだろうか。バイオレットは親との和解が示唆され、一見好転し始めたように見える。しかし、本作を見て一抹の不安が残るのは、これが単なるハッピーエンドではないからだ。

恐らく、彼女たちは遠からぬうちに何かしらの報いを受ける。少女としてギャングからも見逃され、刑法上も少年法が適用されていた二人が、いまや大人になったのだから。冒頭、誕生日ケーキを前にしたやり取りもここで生きてくる。

もちろん、これは一視聴者の想像、もとい妄想に過ぎない。もしかしたら、彼女たちが汚れ仕事から足を洗い、幸せになる未来もあるのかも知れない。

最後のバイオレットの発砲と、かつての相棒・ローズの存在、人形病院が何を意味するのかなど、正直言って、理解・昇華しきれていない部分も多く、この記事自体が妄言に過ぎないのかもしれないが、それはそれ。

自分なりに感想を語り満足したところで、今回はこの辺で。

▶天使の処刑人 バイオレット&デイジー (2011) / Violet & Daisy
▶監督:ジェフリー・フレッチャ
▶脚本:ジェフリー・フレッチャ
▶制作:ジェフリー・フレッチャー、ジョン・ペノッティ、ボニー・ティマーマン
▶製作総指揮:ジェームズ・W・スコッチドープル
▶撮影:ヴァーニャ・ツァーンユル
▶編集:ジョー・クロッツ
▶キャスト:
・デイジーシアーシャ・ローナン
・バイオレット:アレクシス・ブレデル
・ラス:ダニー・トレホ
・マイケル:ジェームズ・ガンドルフィーニ

*1:彼女が公開時点で30歳近い年齢だったとは到底思えず、鑑賞後に知って驚いてしまった。