あらすじ
神父として神に仕えてきたダグ・ジョーンズは、不幸にも目の前で両親を自動車事故で失ってしまう。失意の中、同僚の勧めで旅へと出た彼は、神に見放された地・中国にて忍者に追跡されていた女性と出会い、彼女から爪の化石を託される。
その化石で自らを傷つけてしまって以来、彼は夜な夜な悪夢にうなされる。悪夢による疲労と謎の空腹に苛まれる中、図らずも彼は娼婦のキャロルを暴漢の手から救い、自らが恐竜へと変貌する力を手に入れたことを知る。
自らの犯した罪に悩むダグだったが、キャロルはその力を正しいことに使うべきだと彼に迫る。神父として初めはその申し出を拒むも、悩んだ末に彼はキャロルと共に悪人退治を始めることを決意する。順調に悪人退治を進める二人だったが、いつしか彼らに魔の手が迫る。それは街を影で牛耳る謎のチャイニーズ・ニンジャ軍団だった――。
感想
「笑えば良いと思うよ」―― 監督からのメッセージ
久しぶりにこの手のB級映画を観たんですが、これがマジで最高も最高。かなり笑わせてもらいました。タイトルとパッケージからしてヤバさがすごいこの作品、まあ中身もそれに劣らず期待を裏切らない出来映えでして、低予算故のチャチさはすごいし展開の強引さもまあすごい。
恐竜化の力を得た神父が世に裁かれない悪を討つ、なんて設定はまだいいんですよ。そこは個性の範疇ですし。そんなことより問題はそのクオリティの低さにありまして、肝心の恐竜はリアリティの欠片もないし、バリバリの忍者が中国系だというのは日本人じゃなくとも無視できないレベルの違和感です。また分かりやすい血のりとマネキンを用いた人体損壊描写も、アクション映画としてはお粗末と言う他ありません。
主人公が変化する恐竜なんて、これに毛が生えたレベルですからね。
と、この通りヤバい方向にすごい作品なんですが、じゃあ駄作なのかと言えばそういう訳でもありません。本作をコメディとして見ればこのヤバさが一転、一気に面白さに変わります。しかも「これはコメディです。笑わせようとしています。是非笑ってください」という作り手側のメッセージが早い段階で観客側に示されるため、最初から素直に笑うことが出来るのが良いんですよね。
ド頭で画面に広がるこの一文を見てください。
VFX:Car on fire
――特殊効果:炎上する車
この一文、実は主人公・ダグの両親が事故死する場面で出て来る字幕なんですが、なんとその際に車が炎上する肝心の映像は流れてきません。さっきまで車の前で微笑み、ダグに手を振っていたはずの両親と車が突如として消えさり、街並みの映像とこの字幕だけが画面に広がります。つまりは主人公が失意に陥ってしまう大切なシーンを、この字幕だけで済ませてしまったわけです。
私などは一瞬何が起きたのか本気で悩んでしまいましたが、気付いた瞬間にこの映画は最高なのだと気づいてしまいました。開幕早々に何を目的とした映画なのか教えてくれるのは本当にありがたいですね。
この演出のお陰で、私たちは余裕をもってこの映画を観ることが出来るわけです。つまりはいくら恐竜の着ぐるみが迫力のないアクションをしていても、訳の分からない設定や不合理な展開を見せられたとしても、そこら辺の空き地でのロケを中国やベトナムだと言い張られたとしてもなお、「良かった。真面目にこんな作品を作ってしまった映画監督はいないんだな」と、安心して映画を観続けることが出来るわけです。
悲しきかな、世に蔓延るB級映画の中には、真面目に作っているのか、はたまた笑わそうとしているのかが分からないタイプの作品がたくさんあります。そういった作品を神妙な面持ちで見続けるのもまた一興ですが、心を無にして笑いたい時もあるのです。
字幕という名の「神」―― 信じる者は救われる
本作の字幕芸はこれだけではありません。両親を失ったダグが同僚の勧めで「中国」を訪れた際の字幕もまた本作屈指の笑いどころの一つです。明らかにそこら辺の裏山のような木々の間を歩くダグをバックに、突如現れる馬鹿デカ「CHINA」字幕*1。
「字幕を出せばいいってもんじゃないだろ!」と思わず突っ込みたくなるこのネタ、よくよく考えて見れば映画そのもののお約束をネタにしているのかも知れません。字幕でニューヨークと書かれていればそこはニューヨークですし、東京と書かれているならばどんなに中華風の看板がかかっていようとそこは東京なのです。
謎のアジアンテイストアクション映画のノリをパロディしたアメリカ版『ニンジャスレイヤー』外伝と言った趣きのこの映画ですが、多くのパロディ映画の例に漏れず、映画そのものをネタにした向きがあるように感じます。
ダグはヨブ記の教えだとしてこのようなことを冒頭にて説教します。
苦しみながらも耐え忍ぶのが義人である
神を信じることは無上の幸福である
これはまるでB級映画を、引いては映画そのものを観る私たちに向けられた言葉のようではありませんか。字幕に限らず、私たちはどこかで自分を騙しながら映画を観ています。多少の整合性のなさには目をつぶり、行間を読み取る作業を私たちは常に求められているのです。耐え忍ぶ度合いがB級映画の方が高いだけで。
ダグの言う通り、下手にツッコミどころを探したり、ケチを付けたりしながら映画を観るよりかは、作品が提示する「神」を信じて無上の幸福を得た方が幸せなのかもしれません。
ちなみに、下記の記事では本作の翻訳を担当したサメ映画ルーキー氏がこの映画の面白さや裏話などに触れていますので、興味があれば読んでみることをお勧めします。
おわりに
と言う訳で、今回は人を選びそうなB級映画である『必殺!恐竜神父』の感想となりました。自分はアマプラで見たんですが、尺は一時間ちょいですし、もし一時間を棒に振っても良いと思えるのなら見てみても損はない……かも知れません。
ちなみにB級映画と言えば、以前このブログで『ハウスシャーク』という家に出没する家サメを倒すパニック映画風のドタバタコメディの感想を書きました。その際に既視感を感じた作品としてマイク・マイヤーズの傑作コメディ、『オースティン・パワーズ』を挙げましたが、実は本作からもそんな感じの雰囲気を感じたんですよね。
この映画は『007』的なスパイ映画をこれでもかとパロったコメディ映画でして、もしかするとすべてのパロディ映画は『オースティン・パワーズ』に通ずるのかも知れません。下ネタも多く人を選びはしますが、『007』シリーズが好きならかなり笑えるか、あるいは怒りのボルテージが上がること間違いなしの傑作です。
敵対勢力の忍者軍団の名前が「テンプル忍者軍団」であったり、彼らの学び舎が「聖アルテミムス学園」だったりと言ったネーミングの面白さや、中国にかつて恐竜の力を得た勢力が存在したと言う敵組織の頭領の発言が、伏犠や女媧などから来ているのかと言った疑問など、作品について触れたい件はまだまだありますが今回はこの辺で。
最後に余談ですが、主演のグレッグ・コーハンがベネディクト・カンバーバッチっぽさを感じさせる風貌であることには触れておきたいと思います。ではでは。