はじめに
今週のはてなブログのお題は「読書の秋」とのこと。公式の紹介文を引用させてもらうと、今回はこのようなお題となっているようです。
今年も秋がやってきましたね。スポーツの秋、食欲の秋、芸術の秋、秋はさまざまなことに向いている季節ですが、今週は「読書の秋」をテーマに投稿を募集します。「読んだ本の感想」や「いつか読みたい本の話」「秋にぴったりな本の紹介」など、さまざまな投稿、お待ちしております!
と言っても、読んだ本の感想についてはいつも気長に書いていますし、秋らしい小説と聞いてぱっと思い浮かぶものも、米澤穂信さんの『秋期限定栗きんとん事件』*1ぐらいの私ですので、今回はただ一つ残された「いつか読みたい本」をテーマに書いて行こうと思います。
ただし本のジャンルを限らずに書けば、それこそ読みたい本など星の数ほど挙げられてしまいますので、今回は長年読みたいと思いつつ、何だかんだ読めていない「いつか読みたい哲学書十選」を書いて行きたいと思います。
かつて哲学科を卒業している身ではありながら、世の多くのなんちゃって哲学科生の例に漏れず、自分はほとんど哲学書の類を読まずに卒業した不真面目なタイプの学生でした。なので取り合えずこの場で決意表明をしておき、今後これらを読む決意を固めたいと思っての選出となります。
有名どころの主要な著作、抑えておくべき著作もあれば、個人的な趣味嗜好が働いている作品もあるかも知れません。そんな極めて個人的なリストではありますが、何かしらの足しにでもなれば幸いです。
なお、今ふと思いついた作品を取りとめなく挙げているので、ここ最近の興味関心に偏っている傾向はあります。また、ちらりと語っている内容について誤解等あるとは思いますが、広い心で目を瞑っていただければ幸いです。
いつか読みたい哲学書 十選
判断力批判
いわゆるカントの三批判書の第三批判。『純粋理性批判』『実践理性批判』も読んでいないのだけど、個人的な関心からこちらの一冊。かつて苦し紛れの卒論を書いた際にさも分かった風に引用しておきながら、実は拾い読みしていただけだったため、過去の清算の意味も込めて、取り合えず読んでおきたいと言う気持ちが強かったり。
人間における美醜の判断や現代に通ずる崇高の観念について書かれているため、読んでいないで言うのも何ですが、近代以降の美学に関心があるのであれば取り合えず抑えておくべき一冊ではないかと思います。
エネアデス
哲学や思想、はたまた小説やゲームと言ったフィクションに触れていると、直接の影響の有無に関わらず、新プラトン主義的な世界観や枠組みが大きな影響力を持っていることに気付かされることが多々あります。
とは言え、では実際にプロティノスの本を読んだことがあるのかと言われれば当然ちゃんと読んだことなどあるわけがなく、今回改めて十選に挙げることにしました。
形而上学や存在論、美学なんかに関心があれば読んでおいて損はない、と言うか、読んでおいた方が良かったんだろうなあと今にして思います。
死に至る病
この世に格好良い題名の哲学書ランキングがあるとすれば、常に上位をキープし続けるであろうキルケゴールの『死に至る病』。キルケゴール以後に連なる実存主義の伝統を抜きにしても、彼が如何に神と自己について考えたかはかなり関心があったりします。
ちなみに学科の先輩でキルケゴールを専攻している院生の方がいましたが、彼曰く翻訳で読むならちくま学芸文庫が良いとのことでした。参考までに。
論理哲学論考
こちらは前期ウィトゲンシュタインを代表する著作。形而上の問題についての「語りえぬものについては沈黙しなければならない」の言葉はあまりに有名。
恥ずかしながら論理学や分析哲学の本は読んだことがなく、基礎知識もなし。そのため色々と勉強してから読もうと思いつつ、結局今に至っている訳ですが、ちょっと重い腰を上げて読むべき時が来たのかも知れないと思ったり思わなかったり。
この本はもちろん、今回挙げてはいませんが、トマスの『神学大全』やヘーゲルの『精神現象学』と言った本は、理解できたかを抜きに、「読んだ」と言う事実が自信へと繋がる一冊だと思います*2。もし自信を喪失している哲学科生などは、次の長期休暇に何か一冊そんな本を読んでみてはいかがでしょうか。そうすれば、少なくともこれを書いている私などよりは真面目に哲学徒たらんとしていると思います*3。
アンチ・オイディプス
言わずと知れたドゥルーズとガタリによる共著。最近読んでいたSF小説がこの本からインスピレーションを受けていたようで、久しぶりに興味が湧いてきたものの、フロイトも読んでないのに分かるものか、と自分に言い訳をし始めている今日のこの頃。
そもそも、フロイトやソシュール、レヴィ=ストロースなど、現代になればなるほど抑えておくべき領域外の著作家が増え、何とも言えない苦手意識に苛まれているのは私だけではない……と信じたいのですが、いかがでしょうか。
ちなみに当然ながら『千のプラトー』も未読。ただし両作品共に河出文庫で手に入るのは素晴らしいことだと思います。例に漏れず文庫にしてはちと高いですが。
リヴァイアサン
国家を旧約聖書の怪物に例え、社会契約を説いたホッブズのあまりに有名な著作。厨二病を患ったことがあれば題名だけで手を伸ばしてしまうこと請け合いな本作ですが、大抵は借りたは良いが読み終えずに書棚に戻すまでがセットだと思っています。
内容について言えば、今の世の中だからこそ「社会契約」と言う問題について、腰を据えて考えてみても良いのかなと思っていたり。
ちなみにホッブズの言葉として知られる「万人の万人に対する闘争」なる言葉は、本書ではなく彼の『市民論』と言う著作における言葉なのだとか。偉そうに書いてはいますが、これを書いている時に調べたWikipediaでたまたま知りました。
アナーキー・国家・ユートピア
政治繋がりと言うことでお次はノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』。内容云々以前にまずタイトルがスタイリッシュで格好良い本書、財産の再配分や国家の在り方、個人の自由なんかを考えるうえで読んでおいて損はないのかなと思っていたり。
本書に限らず、政治哲学分野の著作は後学のためにも読んでは置きたいと思いつつ、ロールズの『正義論』なんかもそうですが、軽い気持ちで買うには高いし場所を取るのが少しネック。まあこんなこと言ってるから読まないんだと言われればまさにその通り。
ちなみにこれを書いていて思い出しましたが、同期に一人、リバタリアニズムを標榜する哲学ガチ勢がいたなあと懐かしくなりました。
第二の性
先日ボーヴォワールの未発表小説が翻訳されたと言うことで、何とはなしに最近この思想家について考えることが増えまして、前々から読みたいと思っていたことも踏まえ、備忘録も兼ねて今回の十選に挙げておきたいと思います。
調べてみて気付いたんですが、残念ながらこの著作、現在定価では手に入らないようですね。このご時世、需要はあると思うので再販して欲しいなと思ったりしますが、ボーヴォワールに限らず、サルトルなんかも手に入らない本は結構ありそう。
狂気の歴史
フーコーの著作は『監獄の誕生』をちらりと読んだのみで、現状彼への理解や批判もなく、憧れのみを持ち合わせているような有様なので、取り合えず一冊は読んでおきたいと言うことで今回は『狂気の歴史』を選びました。
今や西欧と言う枠組みへの批判が効果的であるのかは不明ですが、やはりフーコーには触れておかねば先へ進めない気がするので今年中に一冊は読みたいと思います。
象徴交換と死
ボードリヤールについては昔から関心があったわけではないものの、ここ数年の内にとても気になりだしまして、何というか、読まねばと言う思いが日に日に強まっていたりするんですよね。
ただし読むにしてもモースの『贈与論』なんかも読んでいないし、そもそもマルクスについての理解も不完全であるため、いまいち踏ん切りがついていないのが現状。ただ買っておいて損はないし、覚悟を決めるためにも買うだけ買っておこうと思います。ちなみに『消費社会の神話と構造』でも良かったけれど、手に取りやすいこちらに。
おわりに
長々と書いて来た自分本位極まりない「いつか読みたい哲学書十選」、いかがだったでしょうか。内容はないような内容となってはいますが、書いて行く中で己の不勉強を痛感させられましたので、当初の予定通り、自身に発破をかける役割は最低限果たせたのではないかと思います。
また今回名前は挙げませんでしたが、ハイデガーやデリダ、バタイユに西田、狭義には哲学から逸れそうですが、マルクスなんかもちゃんと読んでおきたいし……と、十冊に絞っていく中で、燻っていた勉強欲が自発的に湧いてきたのは嬉しい誤算でした。
さて、気付けば今年もあと二か月を残すのみとなり、読書の秋も残りわずかとなりました。みなさんも哲学書に限らず、読みたいと思って手を出せていない本などありましたら、この機会に是非手を出してみてはいかがでしょう。
いつ行動に移したって遅くはないし、いつ読み始めたって良いのはもちろんですが、時間が有限なのもまた事実。後になって後悔するくらいなら、先に当たって砕けるのもまた一興。自分も今年中に上記に挙げた本2冊は腰を据えて読もうと決意を固めたところで今回はこの辺で。では。