はじめに
私事ではありますが、生まれてこの方、転校を経験したことがありません。これが幸だと感じるのは、転校未経験による怖さ故か、あるいは幼少期より母から転勤族の苦労を聞かされてきたからか。何にせよ、転校が大変であることは間違いないでしょう。
進級の際のクラス替えでさえ苦労するのに、既に出来上がったコミュニティの中に入っていくことの大変さと言ったら。当然同級生だけでなく、部活の先輩や後輩、教師陣とも上手くやっていかなければなりません。
とは言え、人間関係だけで済むならまだまし、なのかも知れません。何せ人間関係だけでも十分大変なのに、本作の主人公である転校生が出会うこととなるのは、そうした人間だけではありませんから。
そしていつからか、わたしはぼんやりと感じるようになっていた。どんな古い木造校舎にも、どんな新しいコンクリートの学校にも――中略――決して誰にも見えない者たちが、ひっそりとうずくまっていることを。新しい校門をくぐるたび、わたしはいつもそういう者たちの呼びかける声を聞く*1。
と言うわけで、今回は角川ホラー文庫より、行く先々で不可思議な体験をすることとなる転校生、「有本咲子」を主人公とした学園ホラー短編集『転校生』の感想です。
感想
本作は「有本咲子」という名の転校生が学校で出くわす怪異や恐怖、あるいは少し不思議な現象を描いた連作短編集です。収録された5作は「理科室」や「音楽室」など、いずれも学校の施設を冠した短編となっており、彼女が転校先で体験する不思議な現象をを題材としている点も共通しています。
ただしこの有本咲子は作品ごとに家族構成や境遇、果ては性格や趣味嗜好も異なる物となっており、どうやら同一人物ではないようです。無趣味で夢見がちな少女であるかと思いきや、時に美術に関心を示し、時に弾き語りで人々を魅了する有本咲子。
そんな彼女を先導役に、読者は学校が垣間見せる不思議や怪異を体験することとなります。学園ホラーと言う区分ではありますが、恐怖を楽しむ小説と言うよりかは、多感な少女の視点を通して白昼夢を楽しむ小説、と言った方が近いのかも知れません。百合めいた雰囲気の短編もいくつかあり、そう言った点でも「学園」感が楽しめます。
特に面白かった短編は「美術室」と「音楽室」の二編。毛色の異なる短編ではありますが、共に美しさと怖さが両立した素晴らしい作品だったと思います。前者は転校先で友人となる少女との関係やその美しさ、浮世離れした雰囲気が魅力的で、後者は自由奔放に弾き語る咲子と音楽室から臨む海の変化が印象的な短編でした。
学校を去った教師が残していった讃美歌の楽譜、謎の人物からかかってきた意中の人物の危機を告げる深夜の電話など、どの短編も導入のシチュエーションが上手く、一気に引き込まれる作りとなっているのは流石の一言。情景描写の美しさはもちろん、青春小説らしい軽やかさを見せたかと思えば、時に耽美な雰囲気すら醸し出してしまう著者の文章の上手さも一読の価値ありです。久々に読み終わってしまうのが惜しいと思う程に魅力的な作品でした。
書かれたのが前世紀の終わり頃だからか、今からすればノスタルジックな空気が行間から漂って来る本作、残念ながら電子版は出ていないようですが、少しでも興味があれば古書店や図書館等で探してみて、是非とも手に取って欲しい一冊となっております。
おわりに
と言う訳で、今回は角川ホラー文庫の黎明期に出版された『転校生』の感想となりました。「ホラー文庫」とは言いながら、中々にバリエーション豊かなラインナップが揃っているのがこのレーベルの特徴ですよね。
内容だけでなく、表紙についても結構前からラノベ調のものを採用していたりと、時代を反映して前に進んでいる印象を受けるこの文庫、作品の傾向なんかを意識して、時代ごとに読み進めて行っても面白いのかも知れません。
では、短めではありましたが今回はこの辺で。