クーンツ『ストーカー』を読了。誤解を恐れずに言えば、クーンツの魅力の一つは、最低限楽しませてくれることだと思っています。打率が安定していると言いますか、大きく外れることがないんですよね、これまでの経験上。
とは言え、そこまで彼の作品を読んできたわけではないので、中にはつまらないものも存在するやも知れません。が、本作はこれまでの例に漏れず楽しめる作品だったので、以下感想を書いて行こうと思います。
ちなみに、あらすじはこんな感じ。
恋人・コートニーとの結婚を機にカリフォルニアへと引っ越すことになった主人公・アレックス。彼は彼女の弟、つまりは義弟となるコリンとともに、彼女の待つ新居へと車で向かう。それは短くとも楽しい旅になるはずだった。……彼らの後を付ける一台の車に気付くまでは。執拗に彼らを追いかけ、命を狙う謎の男。彼は一体何者なのか、彼の目的は何なのか。そして二人は無事カリフォルニアへと辿り着くことが出来るのか……。
さて、今回はネタバレ込みで感想を書いて行くので、気になる方はご注意ください。と言っても、犯人の素性や目的なんかは、早々に本文でも明かされてしまうんですが……。
まず何と言っても、アレックスとコリンの関係性がよかったです。互いに友情や愛情を感じつつも、どこか遠慮が見え隠れし、相手に弱さを見せきれない二人。これは実の親子はもちろん、義理の親子でも出せない距離感でしょう。
そんな二人の距離が徐々に縮まって行き、親子へと移り変わっていく過程こそが本作の読み所だと言ってもよく、正直言って、彼らを追うリランドとの追いかけっこは、そんな変化を促す要因に過ぎなかったのかも知れません。
と言うのもまさに、本書はアレックスたちが命を狙われるサスペンスであると同時に、彼が一人の父親へと成長する物語でもあるからです。彼はこの旅での経験を通し、責任と覚悟を身に付けさせられます。……多くの成長譚がそうであるように、自らの意志とは無関係に。
彼の責任と覚悟は、狂人との戦いを通して育まれ、最終的に彼を殺すことで結実します。最後の最後、泣きじゃくるコリンを前にして、アレックスは心中でこう語ります。
自分が失ったもののひとつはもはや子供のように素直に泣けなくなってしまったことだ。そしていま、なによりも声をあげて泣きたかった*1。
生まれてこの方争いを避け、非暴力主義を貫いてきたアレックス。そんな彼が、大切な家族を守るため、最大限の暴力、殺人を犯す。これまでならば泣くことが許された状況であっても、コリンを、息子を前にした父親として、ここで涙を流すわけにはいかない。
作中において度々彼が子供だと見くびられるのは、多くが外見の問題であったにせよ、大人としての責任感に欠けた彼の内面が、少なからず外見に出てしまっていたのだと解しても、考え過ぎとはならないでしょう。
年長者に無軌道な若者と判断されて来たアレックス、コリンからも、いつか自分たちから離れてしまうと思われていた彼が、自らの信条を捨て、家族を守るために決断を下す。そんな彼と対峙するのが、理由はどうあれ、子供じみた身勝手さを見せるリランドであると言うのは、意味深長ではないでしょうか。
かつて『狂った追走』として訳出されていた本作、あちらでの原題は“SHATTERED”と言い、その意味するところは「粉々になった」*2。粉々になったのは三人の平穏か、はたまたリランドの心か、あるいはアレックスの信条か。
正体不明の人物に追われる『激突!』的な恐怖や、奇抜な展開、斬新なアイデアはなくとも、サスペンスとしてのリーダビリティは十分ですし、個人的には中々に楽しめる作品でした。実際、上記の要素以外でも、勝手な思い込みと嫉妬によって二人が危機に陥っていく様子は、ホラーとはまた違った恐ろしさがあり面白かったです。
ちなみに、解説に掲載されたクーンツによる一人芝居はかなり面白く、満足の内容だったのですが、ほとんどインタヴュー(?)の訳出だけで済ませ、解説をすっぽかすのはいかがなものか、と思わなくもない。当の作品が好きではなく、語りたくないのであれば解説など引き受けなければいいのに、と思ってしまうのは素人考えでしょうか。
と、最後は愚痴めいた言葉で申し訳ないですが、今回はこの辺で。
▶ストーカー / SHATTERED (1973)
▶著者:ディーン・R・クーンツ (Dean R. Koontz)
▶訳者:沢万里子
▶発行所:東京創元社
▶発行日:1999年2月26日 新装版初版