はじめに
タイトルとあらすじに惹かれてスティーヴン・ローズの『スペクター』を読んだ。誤解を恐れずに書けば本作はファストフードのような小説だ。手軽に読めてなおかつ面白い。そして読み始めたら最後、味を吟味するような間は与えられず、気付けば最後まで読み切ってしまっている。ファストフードでなければ、頭を空っぽにして乗るジェットコースターのようだと言えるかも知れない。
あらすじ
大音量でテレビを流して音楽をかけ、酒に入り浸っている一人の男。彼は何かに怯え、不安から逃げるように自室にこもっているのだが、彼自身何に怯えているのかよく分かっていない。そんな彼が自身を慰めるためにかつての仲間との写真を眺めていると、一つの異変に気付く。なんと写真に写る自分の姿が薄れかけているのだ。
見間違いだと思ったのも束の間、不調を来たしたテレビの画面から突如として無数の蛇を思わせる異形が彼を襲い、無残にもその命を絶ってしまう。新聞で友人の死を知ったかつての仲間の一人である主人公は、次々と死んで行く旧友の死に不審を抱き調査を始める。自らの身にもその脅威が迫っているとも知らずに……。
感想
分類としてはモダンホラーと言うことになるのだろうが、本作ではその手の作品にありがちな人間の闇やドロドロとした感情の渦、犯人の異常心理なんてものは描かれない。これはそうした要素に頼りがちなモダンホラーと言うジャンルからすれば珍しいように思うが、この小説の魅力を活かすにはこれで一向問題ないのだ。
では本作が何を売りにしているのかと言えば、それはスピーディで息も付かせぬ怒涛の展開に他ならない。人間の心理描写や異常心理、淀んだ愛憎と言った要素は作品に深みを与える反面、どうしても作品のテンポを落としてしまう。それならばいっそ込み入った事情や煩わしい関係、それに伴う諍いなどは捨て去ってしまえば良い。必要最低限のキャラ付けと関係性があれば、後は彼らを窮地に陥らせるだけでストーリーは生まれる。
……などと作者が考えたかどうかは知らないが、この本からはそうした乱暴とも言える創作原理や信念のようなものを感じる。それを裏付けるかのように、本作において主人公を追い詰める脅威にしても、それが「何か」と言う設定にはあまり注意が払われていない。
ストーリーの鍵を握る人物の名が「パンドラ」であることからも分かる通り、確かにこの小説のモチーフにはギリシア神話が使われている。また作中でも触れられているように、アレイスター・クロウリー流の魔術も本作のイメージの源泉だろう。古の時代に封印された怪物と言うイメージなどはクトゥルフ神話の影響を少なからず感じる。だがしかし、ラヴクラフトやコリン・ウィルソンが得意としたように、既存のモチーフを換骨奪胎し、自家薬籠中の物とするような巧みさは本作にはない。そもそもの話、そうした世界観や設定の構築に苦心した様子がこの作品には見られないのだ。
やりたい描写のために設定を用いていると言えばいいのだろうか、主人公を幾度となく追い詰めるB級ホラーらしい超常現象について、作中で最低限の説明がなされはするが、それらはあくまで「その場しのぎの説明」に過ぎず、上記のモチーフを切り張りして説明としているに過ぎない。設定の緻密さやもっともらしさはないのだ。
手軽さやスピーディな展開だけでなく、こうした設定の粗さも本作をファストフードらしいと言った理由である。味に深みや複雑さなど不要。口に入れた瞬間に美味いと思わせればその時点で勝ちで、後は吟味する暇なく読者はただパクつくのみ。最初から観客に装飾を見せる間を与えないのであれば、装飾に凝る必要などないのだ。
と、ここまで何やら欠点ばかりを指摘しているようだが、これは何も本作のつまらなさをあげつらっているわけでは断じてない。むしろその逆で、ファストフードが馬鹿みたいに美味いように、本作もすこぶる面白い。こうした心理描写の薄さ、設定の粗や論理の破綻があってなお作品として本作が成り立っているのは、読者を掴んで最後まで離さない著者の力量あってのことだ。屁理屈かも知れないが、力業も技なのだ。
またスピーディな展開だけでなく、著者が描く視覚的な描写や演出の数々も読者を牽引する要素の一つに違いない。写真から仲間が次々と消えていくと言う演出はありがちだが魅力的だし、主人公たちに襲い掛かる怪異や怪物の姿や設定も外連味があって良い。
舞台となるのは発展と停滞の狭間に置かれたニューカッスルの町。時代を映した音楽を伴奏に、過去に囚われた主人公が脅威と戦い、如何に過去と向き合うことが出来るのかを描く本作、B級ホラーやアクション色の強いホラーが好きなら古書店か図書館ででも手に入れて是非とも読んで欲しい一冊だ。頭を空っぽにして読めるホラーが好きならきっと気に入るに違いない。また本書の再刊を推薦したのは瀬名秀明氏のようだが、本作を読めば、クーンツ好きとして知られる氏が推したのも肯けるだろう。
ちなみに作中で扱われる音楽について、出版社のあらすじではブリティッシュ・ロックとなっているが、実際のところ50年代から70・80年代までと幅広い上に、イギリス以外のアーティストやロックと定義するのもどうかと思われる楽曲も多い。そのため記事のタイトルではこれらを総じて「オールディーズ」とした。基本的に50・60年代の曲を指す用語として使われるこの言葉だが、Wikipediaによれば「アメリカのラジオ・ステーションでは50年代から80年代と、日本よりも幅広くオールディーズを捉えている」*1とのことなのでここは勘弁いただきたい*2。
おわりに
最後になるが、作者であるスティーヴン・ローズの作品は本作とデビュー作である『ゴースト・トレイン』を除き訳出されていない。この『スペクター』再刊が2000年であるから、つまり以後20年以上の間音沙汰がないことになる。
訳者の解説によると、本作以降もスティーヴン・ローズは精力的に執筆活動を続けているらしく、本書が再刊された時点での長編については短いながらも解説にてあらすじが紹介されている。そこでは計8作品の紹介がなされているのだが、中でも気になるのは、村の道路工事の際に抜いてはならない杭を抜いてしまったがために化け物が復活し、村人を阿鼻叫喚の地獄に叩き込むと言う「The Wyrm」。そして、大地震で世界から隔離された町の住民が、町を取り囲む深淵から迫り来る異形と戦う姿を描いた「Chasm」の二作。ただしこれら以外の作品も面白そうな作品ばかりなので、これ以降ローズの作品が邦訳されていないのは残念でならない。
モダンホラー復権とは言わずとも、こうした作品が世間に再び受け入れられ、日の目を見る日を夢に見つつ今回はこの辺で。ではでは。